わたしの齢が50を越えたところで、父に介護が必要となりました。あちらこちらの介護施設や関係機関に助けを求めましたが、いずれの施設においても多くの入所希望者が待機しており、受け入れの目処がつくまでに三年ほどかかるとのことでした。そこでやむを得ず、わたしが仕事を辞めて( 介護離職 )実家に戻り、訪問医師や看護師さんの支援を頼りにしながら、父の介護にあたることになりました。

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  退職にともなって収入が途絶えると、たちまち「生活」が立ち行かなくなってしまいます。これは、多分に悲惨な経験でした。今日の社会では誰もが「貧困」状態に陥る危険と隣り合わせの日々を送っているということ。そのような状況にあることを、身をもって思い知るところとなりました。

 

 ところで、派遣法を改悪するなどして「勤労者・庶民」の暮らしを貧困と格差による惨たんたる状況に陥らせたのは、紛れもなく小泉政権( 小泉-竹中改革 )でした。そして、それを引き継いだ安倍政権( 安倍政治 )は、持てる者と持たざる者の格差をより一層拡大・固定化させることによって、わたしたち「勤労者・庶民」をさらなる窮状の深みへと追い込んでいます。

 

 たとえばそれは、2017年に発表された相対的貧困率についての調査報告において日本が先進35カ国のなかで7番目に位置していることでも分かります。また、単身世帯における貯蓄ゼロ世帯の割合を示す下表からも窺い知ることができるでしょう。

 

年齢別

貯蓄ゼロ世帯の割合

 

2012年民主党政権

2017年自民党政権

20歳代

38.9 %

61.0 %

30歳代

31.6 %

40.4 %

40歳代

34.4 %

45.9 %

50歳代

32.4 %

43.0 %

60歳代

26.7 %

37.3 %

 

 

 

 

 

       

 

            

 

( 2018年2月1日開催の参院予算委員会において山本太郎さんが用いたデータ。出典については、金融広報中央委員会が行った「家計の金融行動に関する世論調査[単身世( 帯調査]」によるものとされています。)

 

 安倍政権発足前後の「勤労者」の暮らしについて振り返ってみると、どんなに働いても年収が200万円以下にとどまるという「働く貧困層」( ワーキング・プア ) の人々がすでに1,000万人を超えていたようです。国会の議場では、官僚が捻り出した答弁書( 屁理屈 )を棒読みしているばかりの首相・国務大臣たちや自席でうとうとと惰眠を貪っているような議員たちが桁違いの高禄を食んでいるというのに。

 

 1998年以降「勤労者」の賃金は低下傾向をたどるようになりました。1996年の橋本政権に始まり、小泉~安倍政権へと続く一連の「構造改革」政策によって、“ 賃金が上がらない「構造」に「改革」”されてしまったからです。そのころから、景気が回復傾向に転じたり企業が収益を増やしたりしても、実質賃金は上がらなくなりました。さらに「消費税」の導入が「勤労者・庶民」の暮らしに重く圧し掛かることになりました。そのようして、圧倒的多数を占める「勤労者・庶民」の暮らしが並べて貧しくなっていったのです。

 

 さて、人々の多くが貧しくなって「物」を買うことができなくなると、当然ながら「物」が売れなくなります。売れなくなると、「物」が造られなくなります。「物」が造られなくなると、事業の拡大や効率化などに向けての設備投資( 工場・機械などの新増設に向けての投資 )が行われなくなります。当然、新規設備投資にともなう景気循環も起こりません。設備投資が行われなくなると、資金の需要が生じなくなります。すると、お金が循環しなくなります。お金の流れが滞ると不況になります。不況に陥ると倒産が増えます。倒産が広がっていくと「国」の税収が落ち込みます。そして、税収が落ち込むと増税政策が打ち出されます。( 莫大な税金の無駄遣いはそのままに、あらゆる手立ての下に増税が目論まれ、福祉や社会保障も切り崩されていきます。) そして、増税が実施されると、「勤労者・庶民」の多くがより一層貧窮の度合いを深めることになります。すると、「勤労者・庶民」はますます「物」を買うことができなくなります。

 

 もう少し続けます。

 

 「勤労者・庶民」がますます「物」を買うことができなくなると、ますます「物」が売れなくなります。すると「物」の値段が下がります。「物」の値段が下がると、企業の収益も下がります。企業の収益が下がると、連動して「勤労者」の賃金も下がります。するとまた、…………。このようにして物価の下落と経済状況の悪化という連鎖的悪循環( デフレ・スパイラル )が起こっているようです。

 

 このデフレ状況から脱却するにはどうすればいいのでしょうか。 

 

 先ずもって「勤労者・庶民」の暮らしを少しずつでも豊かにしていく。暮らしに経済的ゆとりが生まれると、購買意欲が高まって「物」が売れるようになる。すると、「物」の値段が上がるとともに企業の収益も上昇する。すると、それによって「勤労者」の賃金が上がり、さらに「物」が売れるようになる。すると、また…………。 

 

 ところが、安倍政治には、勤労者・庶民・高齢者の暮らし、とりわけ厳しい生活環境を強いられている人々の暮らしをあるべき本来の水準に押し上げようという発想が全くありません。

 

 それどころか、安倍首相はまるで日本経団連の会長でもあるかのように、日本を『 世界で一番企業が活動しやすい国 』にするなどと主張し、「勤労者・庶民」の困窮には耳目を塞ぎ続ける一方で、企業に対する減税や規制緩和政策ばかりを進めています。企業が人件費を浮かせるための非正規雇用の拡大、労働者の労働力を安く買いたたくための「働き方改革」( 働かせ方改革 )など…………。

 

「勤労者・庶民」が総じて貧しくなってきたところで、企業の製品を日本の「勤労者・庶民」に売って儲けようとする方策を捨てるようです。日本の労働者を酷い低賃金で働かせ、彼らが生みだした製品やサービスといった成果を外国に売って儲けるという方向に戦略を転換したもようです。国内の労賃を最低限に抑えることで儲けを最大化する。しかし、その儲けは「勤労者・庶民」に還元することなしに、権力と大企業とそれを取り巻く支配層だけで分配する。そういうシステムの構築を考えているのでしょう。

 

 それはつまり、「勤労者・庶民」を単なる搾取の対象としてしか見ていないということです。一時の自民党政権の、そしてそのまた一介の政権に過ぎない安倍政権( 安倍政治 )がこれほどまでに弱者( 社会的・政治的・経済的 )を蔑にし、大企業に儲けさせるための政策を次々と打ち出し続けているというのに、圧倒的多数を占める「勤労者・庶民」が現下の悲惨な境遇に甘んじ続けているのは不可解極まりない事態( 異常事態 )であるというほかありません。

 

 経済状況を本来的意味において立て直そうとするのであれば、「勤労者・庶民」一人ひとりの命を大切にし、その暮らしを分け隔てなく豊かにしようと発想するところから始める以外に方法はないはずです。

 

 もちろん、安倍政権( 安倍政治 )にそのような意識も能力もないことは言うまでもありません。

彼らの為せる業はといえば、社会を混乱と廃頽に陥らせ、人間の精神をさらなる腐敗の極みに誘うことのほかにはなにもないようです。今ちょうど「森友事件」「加計事件」という舞台において彼らが演じて見せている「嘘」と「開き直り」の醜行の、まさにそのように。

 

 

                                               -2018.3.22-