若き日々の幼くも純真な情熱が忘却の彼方に追いやられてゆこうとすることに抗って……

 

         

 恋の想いが成就して、寄り添って生きることになる相手はただ一人である。そういう意味では、人を好きになっても、その想いの多くが儚い夢として想い出の中に漂うだけのものになってしまう。ただ、その想いが切なければ切ないものほど、より鮮やかに心に残ることになるのだろう。

 手もとに何通かの手紙が残っている。これだけはずっと捨てられずにきた。遠い昔、ある人に心ひかれ、密かに想いをよせた。その人から届けられたものである。

 返事らしきものを書いた。そして、郵便ポストの前に立った。けれど、こうした手紙を書き送ることにどういう意味があるのだろうかと、もうさようならを告げたのではなかったかと、ためらわれた。やっとの思いで書き上げたというのに、逡巡してついに投函の機会を失った。

 

 何度も手紙をもらいながら便りを返さなかったことについて、できるものなら謝りたいと思ってきたが、あれからもう長い歳月が流れている。

 誠実で慎み深い人柄の彼女のことだから、今もまたどこかでそのようにして暮していてくれることだろう。今はただ、彼女が健やかであることを願うだけである。

 彼女には、緑の美しいある片田舎の山里で出会った。その春のこと、僕の職場にいた女性職員が別の職場へ転勤していった。その職場に彼女が赴任してきたということで、彼女とはその人を介して知り合うことになったと言えるだろう。

 四月のある日、僕のところに、とある用向きで彼女から電話がかかってきた。こちらから彼女と同じ職場に移って行ったその人が僕のことを紹介し、促したもようであった。 

 それまでに一面識もなく、だから最初の出会いは、電話の受話器から届く声だけのものであった。初めて話すというのに、彼女は受話器の向こうで何度か明るく笑った。

 ほんの短い通話だったけれど、その朗らかな雰囲気の話し方のなかには優しい心づかいを感じさせるものがあった。その人柄が慕わしく思われて、その時、機会があれば一度話してみたいという衝動にかられた。

 果たしてそのような佇まいの人であった。

 大学を卒業して故郷に戻った彼女は、とりあえずこの地で職に就き、そうしながら将来のことを考えていると話してくれた。彼女についてそれ以上のことは知らなかったし、訊くこともなかった。

 後に、彼女には旅先で知り合った将来を約束する人がいるようだと、彼女の知人の女性から聞かされることになった。それには少しばかり動揺を覚えたが、それ以上に深刻なものとはならなかった。あの頃の僕たちの間柄というのは、彼女からすれば、たんなる知り合いの一人というほどのものにしか過ぎなかったと思うし、僕にしてもそれ以上のことを望む立場にはなかった。

 職場は離れていたけれど、それでも時々何かのおりに会えることはあった。そのさいに二度ばかり喫茶店に入り、一緒にお茶を飲みながら話し込んだことを覚えている。そして、気がつけばいつの間にか、彼女に会える機会をいつも心待ちにするようになっていた。

 彼女と知り合った一年後に、彼女の暮らす山里を去ることになった。それはもう、夏の季節が終わるころには決めていたことだった。

 あと半年ほどでこの地を離れることになる。そう思うと、彼女との間に何か一つだけでも想い出をつくっておきたいという衝動が湧き起こった。それは、僕が自分の立場から一方的に望んだことだった。

 晩秋の頃だった。意を決して彼女の家に電話をかけた。それから数日後、僕たちはコンサート会場の席に肩を並べて座り、ポール・モーリア・オーケストラの奏でるメロディを一緒に聴いた。彼女を誘ったのはそれが最初で、また最後でもあった。

 本当のことを言えば、来てくれるかどうか不安だった。僕からのただ一緒に行ってほしいというだけの唐突な申し出を受けて、受話器の向こうの彼女に戸惑いの息遣いが感じられたから…。

 ベンチに腰を下ろし、行方の定まらない視線を足もとに落としたまま、
彼女を待った。約束の時間が少しずつ近づいてくる。

 

 そのとき、うつむいていた僕の顔を覗きこむようにして彼女が微笑んでくれた。「来たよ!」とそう言ってくれているように…。

 月日は流れ、すぐに別れの季節の春になった。親交のあった人たちが送別会を催してくれた。その別れ際に、そっと彼女に小さな文集を手渡した。そこには、彼女に出逢えたことの喜びと胸中に生じた葛藤について記していた。

 それからしばらくして、彼女から何通かの手紙が届いた。返事を書いた。けれど、投函できなかった。

 さようならを言った時からもとより邂逅を願う気持ちもなく、何らかのかたちで一言謝るまではと思って、彼女からの手紙を残してきたまでであった。

 礼儀にはずれたいくつかの振舞をもしもここで許してもらえるならば、やっと穏やかな心に落ち着いて彼女のことを想い出すことができるだろう。

 

 

 

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もう、北の国北海道から戻られましたか。

どうでした?函館山からの夜景は、札幌の町は、広大な原野は、牧場は、馬たちは、霧の摩周湖は見えましたか。

原生花園は、オホーツクの海から打ち寄せる波はその砂浜に真っ白な貝殻を運んできていましたか。

もうまる二年たちます、私が行ってから。とても懐かしいです。ぜひもう一度訪れたいと思うところの一つです。

何を求めて行かれたのですか。それとも、何かを捨てに行かれたのですか。

先日、文集をいただきました。

胸が熱くなりました。とっても。それ以来今日までまだ何とも言いようのない気持ちが続いています。

本当のこと言って、すごく苦しいです。切ないです。

特に去年の秋以来、私がこんなにもYOUを苦しめていたんだということが今はっきりと解って。私が、この私が、YOUをそこまで追い詰めたんだとわかって。

そして、この恋が決してYOUの片想いではなかったから。

まさか、このような文章ができ上がってくるなんて夢にも思っていなかった。困惑しています。

私も今だから白状します。

とっても感じていました。私に対して好意以上のものを感じていて下さるということを。はっきりと感じ取ったのは、あの<白い花>という詩。これを読んで、YOUがとっても繊細で敏感な神経を持った方だと思いました。同時にYOUが私のことを遠い存在であると感じておられるということも。Tさんにもこのことは指摘されました。

とっても好きですよ、この詩。

そうこうしているうちに、私自身の気持ちがあなたに傾いていった。

一番苦しんだのは去年の12月ごろ。あの頃は大失敗やらかしてすごく迷惑かけたものね。

よく、TさんとIさんの二人のことを話していたでしょう。私はそんな時、いつも私自身に問いかけられている気がして仕方がなかった。書類を忘れた喫茶店で話した時も、★★★の図書室で話した時も、常につねに感じさせられた。怖いぐらいに。

でもこのまま自分の気持ちを放っておくことはできなかった。区切りをつけなければならなかった、どちらかに。

そして、今年の初めに一応心に区切りをつけました。でもそうしたからといって、気持ちがそんなに変わるはずもなかった。依然、心は揺らいでいました。

私は、YOUと電話で話せることがとっても嬉しかった。解らないことがあっても滅多に他の人には訊かなかった。とっても頼りになった。

ずいぶんと助けていただきました。本当にありがとう。

そして、とうとう終わりでした。そう思いました。YOUが★★へ移ることになったって聞いた時。

それまで話す機会はあっても、そのことには触れなかったでしょう。どっちかなあと思ってたんだけど、私の方から訊ねることはできなかった。

あまりにも突然でした。電話を切った後で一人になると涙がこぼれてきました。

そしてすべて終わったと。HさんからもYOUはここにずっといる人ではないと聞いていたし……。

あまりにも辛すぎました、あの時は。

でも、結局自分の進むべき道は自分で決めるより仕方がない。YOUは新しい道を求めて行かれたんだと……そう思わなければならなかった。

一つこの文集を読んで言いたいことがあります。それは、私はYOUと同じ地面に足を降ろしているごく普通の女の子だということ。遠い世界の人間だなんて、そういう考え方は大きらいです、私は。私自身そういう風に振舞ったことはなかったつもりです。

何がYOUにそう感じさせたかは解る。でも、そんなこと関係ない。私はそう思います。そのことがYOUを一番悩ませたんだろうと思うけど。

とっても意外です。文集にこのようなことを書かれていたなんて。私は、きっと何も言わないで去って行かれると思った。それは、YOUの性格から受ける印象だった。その通りだった。

だから今、こういうのが残されていたということにとっても戸惑いを覚えます。

でも、今になって私にこれを見せて下さったということは、おそらくYOUの気持ちの整理がはっきりとついたのだと理解します。今からではもう遅いかも知れないけれど、北海道の広いひろい原野で青春の炎を燃やしてきて下さい。

徳島に行くこと、一言どうして言ってくれなかったの。全く知らなかった。当日もらった参加者名簿に名前を見つけて驚きました。捜そうとしたけど、人数が多すぎて分らなかった。

徳島には大の親友がいて、ずっとその友だちのところに泊めてもらってたの。市の文化センターのすぐ近く。

来ておられるということを知って、どこかでばったりと出会わないかなあなんて思いながら町の中を歩いてたけど、とうとう会えませんでしたね。あんなに狭い町なのに。

こういうことがなくっても、いずれ話さなければと思ってたことなのです。あまりにも早くその機会が来てしまったという気がしますが、どうしても書かずにはいられない。そう感じさせました。


ずいぶんと長い手紙になりました。読むのしんどかったでしょう。

今度いつかどこかで会えた時には、YOUの笑顔を楽しみにしています。

 最後に、


・髪の毛切りました。
・真っ青な海を見に行きたくなりました。

            ****814日  れ**           
  

 

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  出さなかった手紙(返信)

 

 何度も手紙をいただきました。そして、今になってようやくペンを執ったところです。

 北海道に行ったことをIさんから聞かれたのですね。

 彼の車を使わせてもらうことにして出かけました。敦賀までかなり時間がかかったけれど、そこから先がまた長かった。車とともにフェリーに移り、三十一時間かけてやっと小樽港に着きました。初めて訪れた北国でしたが、思っていたよりもずっと遠くて、それがなによりもよかったことのように思えます。

 北海道では、八日ほどかけてサロマ湖や網走の方まで車を走らせました。あの時、車を停めたのは美幌峠でしたか。あまり知られていないらしい小さな湖でしたが、眼下にきらきらと輝いていて綺麗でしたよ。人に知られていないところにこそ、かえって新鮮で感動を与えるものがあるのかも知れません。

 男二人の旅はこれまでに経験のないことでしたし、彼の悩みの聞き役に徹することになりましたが、旅をしている間、少しは心を空っぽにできたかも知れません。

 聞き役といえば、そちらにいる間、Hさんも夜に一度か二度僕の下宿先を訪ねて来てくれたことがあるのですよ。Iさんは一時期頻繁にやってきた。夕食や入浴が済んだ頃に、僕が住まわせてもらっていた離れ家の雨戸に小石を投げて合図してね、それで母屋の方には内緒でこっそりと入れてあげる。僕はただ話を聞くことしかできなかったけれど、同じ職場の誰かさんへの想いを一時間くらい話して、それからまた夜の峠を越えて帰って行った。下宿ではラジオを聴くか本を読むほかにすることがなかったから、ポットでお湯を沸かして淹れるコーヒーだけど、一緒に飲む相手がいてよかった。

 徳島での研究会に来られていることは、僕もまた会場の受付でもらった参加者名簿に名前を見つけて知りました。驚き、戸惑いました。あなたの名前は、もうとても懐かしいものになっていました。

 意を決してお別れしたつもりの僕が、一体どのような心を用意してあなたに会えるものかと思いました。しかし、もしまたここであなたに出会えたとしたら、それが偶然であれ、僕には必然の結果であると信じたくなってしまうだろうとも思われました。でも、ついに会えませんでした。

 あなたが生まれ育った穏やかな片田舎の★★の地に初めてやってきたのは、ちょうど三年前の春のことでした。

 実のところ、就職の選択肢はいくつかありました。アルバイト先の法律事務所の弁護士さんからは、今後も事務所に残り、ここから法科の二部に通って法律を学んでみないかと、仕事は早く切り上げていいからと、言っていただいていました。★★県庁からも採用通知が届いていました。それに応じる場合には、実家を出てそちらに移り住むつもりでいました。歴史のある落ち着いた町の佇まいが気に入っていましたから。

 ただ、農や田舎暮らしに断ちがたい憧れがずっとあって、★★は見知らぬ片田舎の山里だったけれど、最終的にはそこへ行ってみようと決めたのです。三年をめどに田舎暮らしを体験させてもらいながら、自分が求める暮らしと終の棲家となる場所を探してみたいと願ったのでした。

 ★★には一つの信号もなければ喫茶店もなく、そういう意味では、「農協」のほかには本当に何もないところでした。けれど、朝には爽やかな風が渡り、漆黒の夜には星が降りました。なによりも、みなさん親切で優しい人ばかりでした。

 職場の人たちにも下宿させてもらっていたお家の方たちからも、それはとてもよくしていただきました。給食を作ってくださっていた小★さんには、母親のようによく面倒をみていただきました。あなたが小学生としてこの★★★に通っていたその頃にもおいでになったのでしょうか。

 僕がこの山里にやってきた三年前の春、あなたは高校を卒業して神戸で大学生生活を始め、学業を終えた二年後に故郷に戻った。そして、僕が勤めて三年目の去年の春に、あなたに出会った。そんなことになるのでしょうか。なにかとても不思議な気がします。

 この地にきて二年目の春のこと、僕の職場に何人かの若い女性が赴任してきました。その一人にときめきを覚え、確かな恋ごころを抱きました。連絡しなければならないことがあって彼女の教室を訪れようものなら、いつも「恋人がきた、恋人がきた」と子どもたちから囃し立てられることになりました。そんなこともあって、十数人しかいない職場の中ではかえってよそよそしく振舞うことになってしまっていました。

 それから一年が過ぎて、ようやく、二人で待ち合わせて出かけるようになりました。初めてコンサートに行ったのがちょうど去年の三月下旬のことでした。何度か一緒にコンサートを楽しみ、誰かに会わないかとはらはらしながら動物園へ遊びに行ったこともありました。

 あの一年半という日々は、ずっと彼女に夢中でした。それは、身をもって知る初めての新鮮で刺激的な経験でした。なのに、初夏の頃にはあなたの方が大きく僕の心を占めるようになっていたのです。これはどうしようもない心の働きによるものでした。

 最後に、僕の心を綴ったものが載った文集をお渡しして、あなたに別れを告げました。決していい加減な気持ちであなたと向き合おうとしたわけではないと、ただそれだけをお伝えしたかったのです。しかし、心情を吐露してしまったことで、思いもよらず、あなたの心を掻き乱してしまったようです。そのことが、何通かいただいた手紙の文面から窺えました。胸が締めつけられる思いで受け止めました。心を伝えずにお別れすればよかったと、拭いようのない自己嫌悪に陥ります。

 ただ、お別れしてからいただいた手紙から、僕があなたに誤解を与えてしまっていることを知りました。僕があなたのことを遠い存在とし、黙ってあなたのところから離れて行こうとしたことについて。

 あなたのお父さんが★★家であり、しかも責任のある立場におられることが障壁として屹立していると考えられたのかも知れません。おそらく、Tさんがそのようなことをあなたに示唆したのでしょう。それから、あなたには、旅先で知り合った方で将来のことを真剣に考えている人がいること。このことはもう早い段階でTさんから聞かされていたのですよ。少しも動揺しなかったと言えば嘘になるけれど、そのことはむしろ知っていてよかったとさえ思います。

 そうしたことを承知した上で僕があなたに求めたものは、あなたとは何事にもとらわれない、互いの心の自由だけに根差した少しもあいまいなところのない間柄でいたいということでした。あなたには、自立した一個の人間としての自由な心の結びつきのほかに何を求められたでしょう。僕にとって、あなたはそういう存在でした。

 あなたのもとから去ろうとしたのは、僕にあなたと一緒にいる資格がないのではと思われたからに他なりません。農というものから何かを学びたいと願ってこの地にやってきたというのに、いくつかの本を手にしたり時おり田植えなどを手伝わせてもらったりすることはあっても、その域を出ず、若い仲間が増えた職場で楽しく過ごすことだけに流される日々が続きました。

 あなたといると、とても心が明るく穏やかなものになりました。そして、あなたはいつも誠実な心で接してくれました。喫茶店に書類を置いたまま店を出てしまった時のこと、あなたは僕に迷惑をかけまいとして、あの時一緒にいたことを決して誰にも言わなかった。他にもいろいろな場面を想い起こすことができます。あなたの誠実さには愛しささえ覚えました。

 しかし、僕にはあなたに与えられるものがあったでしょうか。もしもあなたと一緒に生きていきたいという願いが叶えられたとしても、僕と生きていくことの確かな意味をあなたに示すことができたでしょうか。あなたに心を寄せ、あなたを必要としている。そうした自分の願いだけを追い求めることが許されるものだろうか。それで大切に想う人を幸せにすることができるのだろうか。

 あなたを前にして僕は、これまでの僕自身のあいまいな生き方が問われているように、いつも感じていました。そのようなことを感じさせたのは、あなたが初めてでした。

 今年の春までのこの一年のうちに、何度お会いしたことになるのでしょう。指を折って数えることができるかもしれません。けれどそれは、激しく高揚し動揺し、またそれゆえに濃密で充実したかけがえのない時間だったと、今あらためて想います。

 こちらに来てみると、土地柄も職場の規模も違い、環境が一変して戸惑うばかりです。職場には四十人もの人がいて、何人かの人とは朝の挨拶も交わしていなければ、話すこともないままに一日が終わるといったことも珍しくありません。人が多いとそれだけ人間関係が希薄になり、人情の機微に触れることもあまりないように思われます。

 ただ、二十歳代の若人が半数近くを占めていて、それも女性の方が多いのです。だから、職場は華やかでとても賑やかです。最近では、仕事が終わった後に若い仲間たちが集い、ギターを弾いて歌ったりするようにもなりました。また、休みの日に何人かで出かけることもたまにあるのですよ。そのようにして、みなさんには仲良くしてもらっています。しかし、それらの賑わいが時として空虚なものに感じられるのは、ただあなたがいないからに他なりません。

 


 

 

 

摩周湖にて