スーザン・ソンタグさん。彼女が他界した2004年当時、英文学者の富山太佳夫氏は、彼女のことを次のように紹介している。

 

「アメリカの最後の行動する批評家でした。すでに20代の初めから鮮烈な批評活動を始め、アメリカの文芸批評を一新、さらに「写真論」(77年)の他にがんやエイズを論じ、ベトナム戦争、9・11のテロ、イラク戦争についても明確な発言をする一方で、映画を監督し、前衛的な小説から歴史小説まで書いています。輝くような才人でした。」

 

 彼女の言説は折に触れて新聞・雑誌などで伝えられてきたが、特に、ベトナム戦争、9・11テロ、イラク戦争などについて彼女が指摘した的確な批判については共感するところが多かった。米国の良心を代表する知識人といえば、ノーム・チョムスキーやこのスーザン・ソンタグさんを思い起こすのだが、表層ばかりを眺めて納得するのではなく、想像力を駆使して物事の本質に迫ることが大切であるということを、この二人からも教わることができるだろう。

 

  著書『良心の領界』序「若い読者へのアドバイス」。この解りやすい助言は、心はまだまだ若々しいつもりの吾輩にとっては、充分心に響くものであった。

 


 若い読者へのアドバイス (これは、ずっと自分自身に言い聞かせているアドバイスでもある)


 人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。


 検閲を警戒すること。しかし忘れないこと——社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。


 本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。


 言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。

 

 言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。

 

 自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。


 動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。


 この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基礎になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。


 暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。


 少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。


 自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。


 恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。 自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。


 他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません——女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。


 傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。 傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。


 良心の領界を守ってください……。   2004年2月 スーザン・ソンタグ