コンコン、コンコン。
ドアをノックする音が聞こえる。寝入ってから時間はあまり経っていないようだ。
窓から差し込む光がとても明るく見えた。
コンコン。
同時に聞き取れないが男が何か話している。
ドアを開けようと思った瞬間「ここはインドだ!」と思い直し、スーツケースのカギを掛けた。
そしてドアを少しだけ開ける。
チェックインの時のフロントの男性だった。
「ガイド!」腕時計を指差しながらそう言った。
私は何のことやら分からない。さらにドアを開けると若く細い体躯の男性が見えた。
「アイアムガイド!ユーアガイド!」
どうやら9時にガイドが来ることになっていたらしい。
「ツーリスト?インデリー?」
私の英語もひどい有様だが、2人の男性とも英語は良く分からないようだった。
「テンミニット!」とフロントの男の時計を指差すとやっと納得してくれた。
言葉ではなく十本指で理解したようだった。
時間はまだ朝の9時。眠っていたのは1時間と少しと言うことになる。
列車の中で着ていた服を着替える。
「どこに連れて行かれるのだろうか?」と不安になった。
最大の問題は所持金である。500ルピー(1,250円)しかない。
ジャイプールやアグラの経験上、どこか史跡に行ったらその入場料で終わってしまう。
足りなかったら一体どうしたらいいのだろうか。しかもガイドへのチップも必要だろう。
フロントに行くと、ドアをノックしていた男が「あっちだ!」と指を指す。
その先にはオートリキシャーにまたがった、先ほどの若い男がいた。
意を決して後ろの客席に座る。男は何も言わずに発車した。
今までのどの街よりも地方都市の風情があった。
その上で何となく辺鄙な方に向かっているのが分かった。
運転手の男はやっぱり英語がほとんど話せないようだった。
「一体どこに行くのか?バラナシだからガンジス川のガートなのだろう」そう考えていた。
しかしながらガイドブックで予習していた景色とは何だか様子が違う。
大河が近づいている様子もない。本当に郊外になったようで、農村の風情が漂う景色だ。
私が海外の街では最も雰囲気の好きなアユタヤに似ていた。
そして駐車場でリキシャーは止まった。
「受け付けはあっちだ!」と男は指差す。そして1枚の紙切れを渡された。
「ウエアー?」ここがどこか分からないので、ガイドブックを取り出した。
バラナシのページを順に彼に見せる。
あるページで彼は写真に指を当てた。
「サールナート」釈迦が悟りを開いた後に初めて教えを説いた地とのこと。
そして彼が渡してきた紙切れは入場チケットとのことだった。
どう考えてもこれはあのデリーの悪徳業者が予約したプランなのだろう。
ぼった食った代わりにチケット代は込みだったのか、ガートに行くツアーも予約されているのだろうか。
色々な疑念が渦巻く中、仏教由来の敷地に足を踏み入れた。
中の史跡はなかなか見ごたえがあった。
街の雰囲気がアユタヤに似ているという勘はなかなか鋭かったのではなかろうか?
釈迦が辿った地が、仏教の本場であるタイの街に似ているのはある意味必然であろう。
何だか近くの寺院から音楽まで聞こえてくる。
緊張感が続く中で、癒し感のある時間だった。
しかしあることに気が付いた。「時間の約束をしていない!?」
チャワンと違って、言葉でも表情でもコミュニケーションが難しいあのガイド。
どうしたらいいのだろうか?分からなかったが心地よい場所だったのでゆっくりと散策した。
しかし運の悪いことにこの史跡は狭かった。40分くらいで見尽くしてしまった。
出口から出る。駐車場に彼の姿を見てホッとしたが、
視線の先には十数人の物売りや子どもたちが近づいてきた。
「ノー!」「ソーリー!」と言いながら、リキシャーに近づく。
時間は11時前。次はいよいよガートなのか?それとも昼食か?
さすがに空腹感が私を襲っていた。最後にまともに食べてから丸一日が経とうとしている。
あの車のトラブルで立ち寄った集落がたった一日前のこととは思えなかった。
しかしオートリキシャーは朝のホテルに戻ってきた。
彼は「チップ」と言って、頭を下げる。
「これで終わりなのか?」200ルピーで納得してくれた。
ホテルの部屋に戻る。いよいよ300ルピーになった。
そして午後にガイドが来るのだろうか?ひとまずシャワーを浴びた。
いやシャワーではなく水浴びだった。それまでの宿と違ってほとんど水が出ない。
13時になっても14時になってもドアはノックされなかった。
どうやらガイドは来ないようだ。そう悟った。
部屋にいる間はずっと続氷点を読んでいた。
複雑な家族の愛憎劇である。
「愛」「恋」「憎」これらは衣食住があってこそ生まれるものだなと私は感じていた。
2階の窓から見える景色は砂利の空き地だった。そこで子どもたちが2人大きな声で遊んでいる。
小さい子は4歳くらい。目がくりくりしている。
大きな子は7歳くらいだろうか。片足の膝から下が無くて、木の枝を松葉づえのように使っていた。
何か青いボールのようなものを追いかけている。彼らが窓から外を見た私に気付いた。
「ハロー!」ガイドよりも明確な英語で声をかけてきた。
せっかくなので私は外に出て彼らの所まで向かった。
「イェーーイ!」歓声を上げて一緒に遊ぼうとボールを追いかける。
近づくと分かったが、彼らの身体は本当に泥にまみれていた。
4歳くらいの子もひじに見たこともないような、大きなイボのようなできものがある。
ボールを手に取った。ひらがなで「たける」と書いてある。
「タケル?」と言うと、彼らの目が輝いた。
ここからは私の推測だが、たけるという名の日本人がこれを渡したのだろう。
そこで私はペンを取り出した。彼らも私の意図に気付いたようだった。
隣りにこうすけと書く。「コウスケ!」と何度か言うと「コウスケ!」と返してくれた。
この遊びは楽しかったが1時間ほどでお開きとなった。
突然のスコールがやってきたからである。雨が降り出すと彼らは急いで建物の向こうへ帰って行った。
私もフロントに戻った。そこのソファーで少し休憩する。
15分くらいしても雨がまだ降っている。空は結構暗い。
突然、久しぶりの日本語が耳に入ってきた。
「急げ!早く!」男性の声だった。白い民族衣装が濡れている。
そこに遅れて「怖かった!」と女性。赤い現地の服を着ていた。
受付を済ませた彼らは、ソファーに日本人がいるのが分かったらしい。
「こんにちは!」と声をかけてきた。