気楽にト-ク -70ページ目

最初の一歩

最初の一歩の日、地図の日
1800年(寛政12年)の4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量へ出発したことに由来します。

梅毒で亡くなった歴史上の人物

■4月19日<今日の雑学>
1910年4月19日、ドイツの国立血清研究所所長エールリッヒが初の抗梅毒剤の開発に成功した。梅毒はもともと西インド諸島の風土病だったが、大航海時代の西洋人によって世界中に広められた。1493年にコロンブス一行がエスパニョーラ島(ハイティ島)からヨーロッパへ持ち帰り、16世紀にはバスコ・ダ・ガマによってインド、中国、日本にまで伝わっている。梅毒の治療としては古くから水銀剤やヨード剤を用いた方法があったが、それらは完全ではなく、20世紀になってペニシリンが発見されるまで梅毒は不治の病だった。そのため、シャルル8世、ヘンリー8世、エラスムス、ハイネ、シューマン、ボードレール、ニーチェ、モーパッサン、ベートーヴェン、加藤清正、浅野長政、結城秀康、前田利長、浅野幸長らが梅毒やその影響によって死亡している。

4月19日の出来事

1775年:アメリカ独立戦争が始まる
1800年:幕府が伊能忠敬に蝦夷地の地図作成を命じる
1880年:新約聖書の日本語訳が完成
1897年:第1回ボストンマラソン
1910:エールリッヒが初の抗梅毒剤を開発
1928年:第2次山東出兵を閣議で決定
1943年:ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人がナチス・ドイツに対して武装蜂起
1951年:世界初のミス・ワールド・コンテスト
1971年:ソ連が世界初の宇宙ステーション「サリュート1号」を打上げ

地図

地図の日・最初の一歩の日
1800年4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発したことに由来する。

言ってはいけないこと

一昨日にテ-ブルが賑った理由が解りました。
その数日前に、私が「口に合わない」と言ったらしいのです。
私はそのような記憶が無いのです。
(飲み過ぎた時なら可能性有)
そこで私が作っていてもお構いなしだったのです。
ちなみに、言っても良いのは「味が変とか濃い」等の評論だそうです。
又、食べない等の態度もOKだそうです。
私ならこちらの方が憤慨しますね。
一様誤りました。もう言いません。
「作ったものは残さない」は当り前ですからね。
(残すようなものは買わないで欲しいとも言いたいです)

納豆食べれず

毎朝食べている納豆が残り1つとなりました。
その1つは私が買ったものであります。
そして、朝食に納豆を食べるのは私と父母だけです。
いつもは私の方が早く食事をするので気にしていませんでしたが、
この日は何故か母が早く起きてきて納豆を持って行ってしまいました。
仕方が無いので、ふりかけご飯にしました。
私の場合は買いに行くのは安売りデ-だけでしたから、
ストックが無いのは大変残念なことです。
そして、翌日も買わなかったので朝食はふりかけがメインでした。

寝食を忘れて

■4月18日<松下幸之助一日一話>
よく「寝食を忘れて打ち込む」と言いますが、自転車用のランプを造ったときの私は、まさにそんな状態だったように思います。しかし、つらいとか苦しいといったことは少しも感じませんでした。それはやはり私が、それまでの自分の体験なり世の人びとの姿から、このままでは不便だ、何とかより便利なものを造り出したいという強い願いを持ち、と同時に私が、そのような仕事が非常に好きだったからだと思います。「必要は発明の母」という言葉がありますが、新しい物を生み出すためには、その必要性を強く感じ、その実現のために一生懸命打ち込むことが大切だと、そのとき、しみじみと感じました。

4月18日生まれの人

4月18日生まれの著名人

1819年:スッペ(作曲家)
1953年:岸田智史(俳優・歌手)
1956年:宅麻伸(俳優)
1958年:小宮悦子(キャスター)
1959年:伊豆田洋之(歌手)
1966年:八谷和彦(メディアアーティスト)
1970年:佐伯貴弘(野球選手)
1978年:都築龍太(サッカー選手)

418

●よい歯の日
日本歯科医師会(日歯)が1993(平成5)年に制定しました。「よ(4)い(1)歯(8)」の語呂合せです。

引っ越し93回の葛飾北斎

■4月18日<今日の雑学>
1849年4月18日、浮世絵師・葛飾北斎が浅草の遍照院境内で90歳で没した。彼は1760年に幕府用達鏡師の子として江戸本所に生まれ、78年に勝川春章へ入門。狩野派・土佐派・住吉派から、明や清、オランダの風景銅版画にいたる和漢洋の各種画法に関心を寄せ、奇抜な発想や大胆な構図で風景画・花鳥画のジャンルに清新な画境を開拓。浮世絵が頽廃していった化政期以降に、新風を吹き込んだ。死ぬまで描き続けた『北斎漫画』や、64歳から72歳にかけて発表した『富嶽三十六景』など名作は数多く、フランスの印象派やゴッホにも多大な影響を与えている。しかし、その一生は貧乏で、麻裏草履をはき、柿色の袖無しを着て裏長屋を転居すること93回。春朗、宗理、可候、北斎、画狂人など30以上の号を用いるといった、その奇行を示す逸話も多い。