初の入墨刑 | 気楽にト-ク

初の入墨刑

金物をはずした罰で初の入墨刑

■5月11日<今日の雑学>
8代将軍・吉宗の代の1720年5月11日、江戸長崎町の半兵衛という者が、江戸橋の橋脚に巻かれていた金物を外した罪により、北町奉行がかりで入墨のうえ追放されているが、これが正式な入墨刑の第1号といわれる。日本における入墨の歴史は古く、3世紀ごろの日本について書かれた『魏志倭人伝』に入墨のことが記されている。さらにそれ以前の縄文時代からも入墨の習慣はあったらしい。また原日本人とも考えられるアイヌ民族にも入墨の習慣があり、明治時代まで残っていた。入墨の元々の目的は装飾・宗教的儀礼などが考えられるが、江戸時代になってからは刑罰として犯罪者に入墨するようになった。当時の刑罰としての入墨は地方によって異なり、江戸では幅3分(約1センチ)の2本筋を腕にぐるりと入れ、大阪では幅5分の2本筋を入れたそうだ。