怨霊となって都を震撼させた菅原道真
■4月20日<今日の雑学>
現代でも学問の神様として崇められている菅原道真。845年、学者の家系に生まれた道真は、文章(もんじょう)博士となった後、讃岐守、蔵人頭となった。宇多天皇、醍醐天皇に重用された道真は、899年に藤原時平が左大臣になった時には右大臣に任ぜられ、学者として異例の出世を遂げた。しかし、道真を邪魔に思った時平は、道真が天皇を廃し、自身の女婿斉世親王(醍醐天皇の弟)を立てようとしていると天皇に上奏。道真は太宰権帥(だざいのごんのそつ/九州にある大宰府の長官)に左遷され、903年 に没した。都の人々は不遇な晩年を送った道真の怨霊の祟りを恐れたが、909年には時平が病死。923年3月に皇太子保明親王が亡くなるに至り、道真の魂を鎮めるため、同年4月20日、朝廷は道真を右大臣に復し、正二位を贈ったのだった。
現代でも学問の神様として崇められている菅原道真。845年、学者の家系に生まれた道真は、文章(もんじょう)博士となった後、讃岐守、蔵人頭となった。宇多天皇、醍醐天皇に重用された道真は、899年に藤原時平が左大臣になった時には右大臣に任ぜられ、学者として異例の出世を遂げた。しかし、道真を邪魔に思った時平は、道真が天皇を廃し、自身の女婿斉世親王(醍醐天皇の弟)を立てようとしていると天皇に上奏。道真は太宰権帥(だざいのごんのそつ/九州にある大宰府の長官)に左遷され、903年 に没した。都の人々は不遇な晩年を送った道真の怨霊の祟りを恐れたが、909年には時平が病死。923年3月に皇太子保明親王が亡くなるに至り、道真の魂を鎮めるため、同年4月20日、朝廷は道真を右大臣に復し、正二位を贈ったのだった。