諏訪山公園方面に下りていきます。

 

 

 

 

諏訪山は標高 180mで、山に諏訪神社が祀られているところから名付けられた。諏訪神社 は、諏訪明神(みょうじん)(健御名方大神<たけみみかたのおおかみ>・比売神<ひめか み>)を祭神とし、社伝によれば、16 代天皇仁徳天皇の皇后・八田(やた)皇女の離宮鎮 護の神として祀られたのが最初という。現在の社殿は 1924(大正 13)年に改築されたもの。 このあたりはかつて、中宮村と称したが、これは諏訪神社が長田神社と生田神社の中間に位 置したとか、近くにある四宮神社が八宮の中宮だということから付けられたなど、諸説ある が、確かなことはわからない。いずれにしても、諏訪神社は旧中宮村の氏神であった。なお、 「明和五年戊午正月元旦」(明和 5 年=1769 年)の銘がある石の鳥居が、社殿正面階段下 にある。また、俳人它谷の「紀の海の阿波へ流れる月夜かな」の句碑が社殿の横にあり、こ こ諏訪山から南海の展望が素晴らしいことを伝えてくれている。 さて、諏訪山は江戸時代、中宮村はじめ四ケ村の共有地であったが、後に官地となった。 1873(明治 6)年には遊覧地となり、諏訪神社の境内 3000 坪を公園とした。公園の片隅に 1903(明治 36)年 6 月 7 日に建てられた「諏訪山遊園」の碑が、今でもそのことを偲ばせ てくれている。また、山の麓にはイギリス人が発見した温泉(炭酸泉)が湧き、「諏訪山温 泉」として親しまれ、「飲めば胃を治し、湯に浴すれば万病に効く」と伝えられた。さらに、 1937(昭和 12)年この地に市立動物園を開園し、現在それは王子動物園に受け継がれてい る。諏訪山の動物園の跡地は現在、諏訪山「子供の園」として、児童公園になっている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仁徳天皇の皇后である八田皇后の離宮鎮護神として鎮斎されたとされる。 生田神社と永田神社の中間に位置することから、古くは中宮と称されていた。 1182年頃の治承・寿永の乱(源平合戦)のおりに源義経が武運を祈ったという伝えが残っています。

諏訪山公園(金星台、ヴィーナスブリッジ)と隣接している。奥の院からさらに上の道を行くと、大龍寺に向かう大師道につながります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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