<興礼門(フンレムン)

(興禮門)


興礼門は、南北線上に位置する光化門と勤政門の間にある2階建ての建物で、1916年に朝鮮総督府が建てられたことにより、興礼門をはじめとする行閣などが撤去された。200110月に興礼門と周辺の建物が復元され、昔の姿に戻った。興礼門と勤政門にわたる空間は、王を護衛する兵器や軍事訓練を担当する近衛隊が配置された場所で、王の安全が最優先されていた。





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丹青


韓国の伝統芸術文化の中で、最も鮮やかな色彩の芸術のジャンル、それがすなわち丹青(タンチョン:宮廷・寺院などの建物に色彩の模様を描くこと。またはその絵)である。建築に施した為、「建築採画」とも呼ばれるが、「丹青」はかねてから使われていた言葉だった。




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               <光化門(クァンファムン)




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韓国人は森羅万象の全ての色から物事の理知を悟り、また陰陽五行と五彩の調和を身につけた。自然の奥妙な色一つ一つに生きる意味を込め、万物との調和を通して、縁起の良い「吉象」のデザインを創り出した。それゆえ、「丹青」には韓国人の芸術魂が、余すことなく溶け込んでいるのだ。





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木造建築に欠かせない丹青。耐久性と美しさまで考慮して模様を施したのが丹青の始まりだ。

北東アジアで建築材として最も多く使われたのは、松だ。丈夫で長持ちし、曲がりにくいというメリットがある反面、木材の表面が粗く乾燥すると大きくひび割れるというデメリットもあった。したがって古代人は腐りやすくひび割れの多い松の短所を補うため、何らかの方法を見つけ出さなければならなかった。

その解決策が、塗装(丹青)だったのだ。耐久性を上げるためとはいえ、どうせやるなら美しくしようと部材に様々な模様を施しはじめた。



光化門のアーチの天井部分の絵画

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丹青は三国時代から本格的に始まった。社会的階級によって丹青の派手な色彩を制限した。

丹青は建築物の性格によって、デザインが異なる。宗教的な装飾や王権の威力を誇示する場合には、それにあった模様を選別した。

宮廷の模様は荘厳ながらも静的なデザインが特徴である。






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その昔、漢陽都城は,四方が城壁で囲まれた城郭都市で,ソウル盆地を囲む山の尾根に沿って築かれた城壁の総延長は,18.5kmに達した。およそ20km2の面積を有する城内には,景福宮,昌徳宮,昌慶宮などの宮殿,李王家の位牌をまつる宗廟,景福宮へ通ずる大路沿いには官庁街が建設され,住民の消費生活をまかなう六矣廛(ろくいてん)(商店街)が六つの部門にわけて設けられた。住民(王族,官吏,商工人,奴婢)のほとんどが城内に定住したが,一部は城外に住んだ。






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漢陽都城は、鐘路区、中区、城北区、龍山区、西大門区にまたがっており、それぞれ、彰義門(北小門)、崇礼門(南大門)、光煕門、興仁之門(東大門)、恵化門(東小門)、粛靖門(北大門)の城壁で囲まれていた。





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