汚れつちまつた悲しみに 
 今日も小雪の降りかかる 
 汚れつちまつた悲しみに 
 今日も風さへ吹きすぎる
 



中原中也の詩の魅力は、
なんといっても解かりやすさである。
心の叫びをそのまま自分の言葉に変換できる才能。

飾りはいらない、素直なありのままの心。
そしてあまりにも無防備な悲しみ。

それがあまりにも痛々しくて、読む人の心を捉える。

中原中也は、愛児を亡くしてから毀れてしまった。

その悲しみ、その苦しみ、その脆さ。
その狂気は、夢の中を漂うような幻想の世界では決してない。
愛し児を失くした悲しみは、狂気の中の彼をもっと深く抉る。


また来ん春と人は云ふ 
しかし私は辛いのだ 
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
 
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園             
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた
 
最後に見せた鹿だけは 
角によつぽど惹かれてか 
何とも云はず 眺めてた
  
ほんにおまへもあの時は 
此の世の光のたゞ中に 
立つて眺めてゐたつけが……



享年30歳。

まだあどけない面差しのままで、現実の世界に戻れないまま、
天才は逝った。


著者: 中原 中也, 河上 徹太郎
タイトル: 中原中也詩集
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副題は「ランボオ・中原中也」
私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事によっても協力する)奇妙な三角関係が出来上がり(略)



この忌まわしい出来事が、私と中原との間を目茶目茶にした。


つまり、小林秀雄は親友である中原中也の恋人を奪ってしまったというわけ。

ある人物が亡くなったとき、
身近の人間が故人を偲んで文章を発表するのは、当然よくある話である。

私はそういう文章を読むのが嫌である。
その文章の中に、何かきな臭い、後ろめたい匂いがして、
まるで自分が共犯者になったような気がするから。

それでも好奇心に負けて、読む。
そして、嫌悪感。
というより、奇妙な気恥ずかしさ。

中原の心の中には、実に深い悲しみがあって、
それは彼自身の手にも余るものであったと私は思っている。
彼の驚くべき詩人たる天資も、これを手なづけるに足りなかった。


小林秀雄が語る「中原中也の思い出」は素晴らしい。
素晴らしすぎて、出来すぎている。

彼はどこにも逃げない、理智にも、心理にも、感覚にも。
逃げられなく生まれついた苦しみがそのまま歌になっている。


小林秀雄の一行一句が、
私たちの馴染み深い中原中也と
私たちの知らない中原中也との幻影を見せてくれる。

まるで手品師のように。
あまりにも鮮やかすぎる手法で。


著者: 小林 秀雄
タイトル: 考えるヒント 4

さて、今度はどの本を読もうかと本棚に向かうのは、
至福の時である。
そして、
この本をどこで読もうかと周りをウロウロするのも愉しい。

また、包装を紐解くのももどかしく、買い込んだ本の中から、
どれを先に読もうかと思案するのも嬉しい。

読みたい本を選ぶことは、
その時の自分の心理状態の鏡でもあると信じている。

気力に溢れているときは、
歴史ものとか、バイオグラフィーとか、サスペンスとか。
疲れたときは、詩集とか、古典とか、画集とか。
イライラするときは、英語版製品マニュアルとか ^^;
(つまりイライラを他に移行させるわけ)

私の本棚は高さ180cmのものが4本並んでいるが、
あえて、本をインデックス的に整理はしない。

新刊本と文庫本くらいは分けるが、
ジャンルも作家もタイトルもバラバラである。

なぜか。。。

理由は簡単。

ふふん、ただ整理整頓が苦手なのさ!

分類しても、不思議なことにすぐごっちゃになってしまうのだ。

(不思議でもなんでもない!だらしがないのだ。
買った本を読み忘れてて、また同じ本を買ってくるのやめてくんないかな、
本は返品できないんだからさ~)

しかし、このぐた式本の収納方法は、私にとっては使い易いのだ。

あ、こんな所にこんな本があった!
なんて、その時どきで手にした本も何かの縁だと思うから。
そして、一冊の本がまた次の本を呼んで、輪が広がっていくのも愉しい。
(ブログのように…)

ところが、最近そうもいかなくなってしまった。
あの本、この本、と探すのがひと苦労なのである。
で、ちょこっと整理整頓してみた。




な、なんで<長いお別れ> が3冊もあるんだよ~っ!
(え、えいごばんも2冊ございますけど。。。)

<ロスノフスキ家の娘> は下巻しかないし
(だからいまだに読めない。。。)

<項羽と劉邦> の上巻2冊のみかよっ!
(中・下巻は無い!)

そういえば、<ホテル> は堂々と下巻から読み始めて、一気に80ページくらい読んでから、やっと下巻だということに気づいたんだっけ。
どうも話がよくわからないと思ったぜ(汗)。

ここまで整理して、私のゼンマイはキレました。。。
いまどきの子は、ゼンマイなんて言葉を知らんのだろうね、きっと。

じつは、自分の頭のゼンマイがとっくに切れていることに
まったく気づいていないぐたさんでありました。

「ちょっとごめんね ^^; 第二弾」です。

あの~、どなたか、

私の専属絵師のおばダサさんの行方をご存じないでしょうか?

ここのブログのブックマークにリンクしてあるんですが、
一週間程前から行方がわからなくて困っています(号泣)。

おばダサ さんの素材は、ぐたそっくりでホントにとっても可愛くて気に入っていたんです。

(プロフィールにあるのが、おばダサさんの描いた絵でございます)

幸い、手元に少しキープはしてあるのですが、あの素晴らしい素材がもう手に入らないのかと思うと、夜も眠れないんです。(で、昼寝するわけだ)

おばダサさんっ!
もしこのブログを見ていらしたら、ぜひ連絡ください!

なにも心配はいりません!
子供たちも泣いてます!
二人でよく話し合いましょう!


ちょ、ちょっと~!
そりゃ番組が違いますぜ、奥さん。

す、すみません。
つい取り乱してしまって。。。

全国の皆様。
おばダサさんの情報がございましたら、どんな些細なことでもけっこうです。
こちらにご連絡ください。

ご協力、ありがとうございました。


註:ぐたとおばダサさんとは、個人的に何の面識もありません。(汗)


なにもしたくない
誰にも会いたくない
しゃべりたくもない
野に咲く花のように
静かに一人でいたい

しかし腹がへった
残念だが
腹がへってしまった


そうなんだ。
どんな時でも、いつかは腹がへるんだ。
(あんたは特にね、ぐたさん^^;)

こんなに愛していても腹はへるんだ。
こんなに辛くても腹はへるんだ。
こんなに悲しくても腹はへるんだ。
こんなに幸せでも腹はへるんだ。

それが生きている証し。

心がなにを感じていようが、
身体は身体の仕事をちゃんとこなそうとしているんだ。
そう思うと、自分の身体が愛しくなるよね。

心がふらふらしていても

頑張ってんだなぁ、私の身体。

って。


星野富弘さんは、頸から下が麻痺して動けません。
彼の素晴らしい絵と味わいのある文字は、
口に咥えた筆を使って描いたものです。


彼の詩には、いつも光が感じられます。
嬉しいこと、苦しいこと、悲しいこと
どんな感情を通じても、彼の言葉の向こう側に
陽だまりのような光を感じる。

この明るさはなんなのだろう。

生きる苦しみ
生きる悦び

苦しんだ分だけ、悦びも大きいのかな。

すみません、
私の貧しい言葉では、彼の作品の魅力を語りつくせません。

自分の顔がいつも見えていたら
悪いことなんかできないだろう

自分の背中がいつも見えていたら
侘しくて涙が出てしまうだろう

あなたは 私の顔をいつも見ている
私の背中をいつも見ている


あなたをいつも見守ってくれているのは
誰ですか?


著者: 星野 富弘
タイトル: あなたの手のひら―花の詩画集

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