昨日は真夜中につぶやいてみました。

根津みほです。
 
思いが溢れて止まらなくなり
 
書いたあともどんどんどんどん、、、
 
どんだけ毒づくんだ笑
 
 
 
子が産まれて必然的に専業主婦になったわたしは
 
小さな部屋から育児の合間に
社会がよく見えるようになりました。
 
それは奇しくも
働いていた頃の自分より
 
社会と繋がっている感覚になるのです。
 
おかしいでしょ?
 
よく「社会と繋がりたい」と言って
悩むママ友がいますが
 
わたしは
 
社会に関心を持ったことにより繋がっていると感じるようになったのです。
 
自分のことしか考えなかった昔より
 
家族って単位の極小の社会から
 
地域
 
幼稚園(学校)
 
会社
 
政治
 
に関心を寄せていますし、実際参加せざるを得ない状況にもなります。
 
社会の一員として
不満がいっぱい野郎です笑
 
ただ毒づくのは、自分を困らせるもののことだけで
 
わたしに優しい人には
わたしは優しく素直なんですよ笑
 
もしも
子どもの育児で
自分の寝る時間もなく
髪を振り乱して
家は錯乱していて
ああ、今日もなにもできなかった
なにやっているんだろう、、、(わたしもよく、よぎります)
と、絶望を感じている方へ
 
それこそ社会の第一線で活躍していると
言葉に出して言ってみてください。
 
子育ては社会の急務であり課題です。
 
不満だってどんどん明るみに出したっていい
 
わたしもそうしたい
 
そこから
どうすべきかが生まれるかもしれません。
 
 
 
 
 
 
昨夜
 
専業主婦は家も借りれない
 
なんてことを書きました。
 
家賃を払い続けることが前提なら
無職という扱いの人には貸せませんよね
 
でも
もう少し緩めて
 
働く見込みで借りられたら
 
それが追い風になって働きに出たり
 
そのことで夫の理解を得たり
(二人の名義で借りれたり)
 
離婚にふみきったり
 
自分の進みたいところに進んでいける人が増えるんじゃないかと思います。
 
完全なる持論ですが。
 
 
 
ちょっと昔に
 
その業界の中では第一線で働く人に聞いた話ですが
 
彼女は
 
もしも今ブランクを開けてしまったら
確実に自分の能力は衰える
そうしたら戻れないから
走り続けているんだ
 
というようなことを言っており
 
そのときはそうなんだと思いましたが
 
今、自分のこととしてとらえると
それは思い込みなんじゃないかなと思います。
 
(もちろん彼女はそのままでいいです。
良い悪いもない)
 
 
第一線でなくていい
衰えてもいい
知識や経験は消えない
 
それじゃダメかな?
 
とは思うものの
 
復帰した人を足手まとい扱いする風潮はあるのかもしれません。
 
ましてや復帰した人が子どもがいるケース
 
子どもの急用で休むことになりますよね
 
休む=あまり良くない
 
風潮があるのも事実、聞きます。
 
 
 
子ども=騒ぐ  迷惑  風邪をひく  だから苦手
 
暗黙の共通語みたくなっているし
わたしもズキンとくる。
 
それは少なからず
と、いうか多いにそう思っているから痛いわけで笑
 
だから
 
すいません
すいません
 
と、頭を下げるシーンが多い。
 
世の中の母親たちは思いのほか
頭を下げ続けている。
 
 
申し訳なくて
すいません
 
合言葉のように
すいません
 
とりあえず
すいません
 
もうそうなってきたら
 
すいませーん、ありがとう
すいませーん、お願いします
すいませーん、いただきます
すいませーん、*もうなんの言葉でもよい
 
すいませんと言い続けると不思議なことが起こった。
 
自己価値がとても低いように感じてくるし
実際にそう見られてくるのだ。
 
でもそれは錯覚で癖なだけなんだ。
 
穏やかに、円滑に済ませたいという知恵なのだ。
 
それだけ、居づらい
生きづらさを感じているってこと。
 
 
 

一億総活躍の社会を実現させたいのであれば
 
政府のいう〝子どもは社会の宝〟であることを
 
もっと前に出さないと成り立たない。
 
母親を活躍させたかったら
 
子どもは騒ぐし迷惑かけるし風邪をよく引くし
非効率な生き物だけど宝だから
大事にしよう
 
ってことをもっとうまい具合に
他の人々に伝えていくことをしてほしい。
 
そしたら
母親も子どもももっと生きやすくなるのではないか。