これがあの気仙沼か。あの鹿折か。
時々刻々姿を変えていく被災地の本当の姿を見るのは難しい。
目の前に広がっている一面の土の壁からは、多分何の悲鳴も嘆きも聞こえてこない。
多分、全ての復興工事が終わってしまったら、ここで何が起きたのか想像することも難しくなるだろう。
真っ暗なトンネルを歩いていることを示すために皆、歌を歌いながら歩いたそうだ。
トンネルを抜けて鹿折地区に入った人は目の前の光景を見て言葉を失ったという。
私はその惨状は知らないが、2年前、3年前にここを見ているからある程度その物凄さを肌で感じることが出来る。
復興が終わったら、多分何事もなかったように時が流れていくのだろう。
忘れてはいけないと言いながら、しかし私たちはどんどん忘れていく。
それが普通の人間だ、それでもいいのだ、という思いがよぎらないでもないが、しかしやはり私たちは忘れてはならないのだと思う。
目の前にあるものだけを見ていては分からないものをどうやって分かるようにするか。
震災遺構だけではやはり足りない。
語り部がどうしても必要になる。
そのことを気仙沼で痛感した。