イスラム国からの新たなメッセージの読み解き方 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

インターネット上で配信された画像から流れる英語の音声は、イスラム国の人質となっている後藤健二さん本人のものではないだろうと思っている。
後藤さんのお母さんが息子はこういうことを言う人間ではない、という趣旨のことを述べられているから私は、お母さんの直感を信用する。

女性の直感はおおむね正しい。
何か変だな、と直感的に思う時は大体は何か変である。
どこが変なのか、何が変なのかの正体を見極めるのは結構難しいが、何か変だなと思ったら一応疑いの眼で見た方が間違いが少ない。

後藤さん本人のメッセージでないとすると、あの動画はどういうメッセージを発信しているのだろうか。

私は時々特定の人に対するメッセージを伝達する手段として私のブログを利用している。
一般論のような形で書いているが、実際には問題を抱えて行き詰っている人に対してのアドバイスだったり、行動の指針だったりする。

あくまで行動の指針を求めている人にしか真意が伝わらないメッセージだが、時には人の人生を左右するようなかなり踏み込んだメッセージを送ることもある。

残虐な行為を平気で行う過激な行動派集団であるイスラム国が私と同じような手法で大事なメッセージを発信しているとは思わないが、それでもイスラム国の今回の動画発信は極めて重要なメッセージを私たちに与えているような気がする。

動画に付されている音声によれば、後藤さんを人質にしている集団は2億ドルの身代金要求を取り下げているとのことだ。
人質にされている後藤さんの言葉にしては、ずいぶん第三者的かつ説明的である。

イスラム国という疑似国家集団のスポークスマンの声明ではないが、ああ、これで彼らは身代金の要求は断念したのだな、ということが伝わってくる。
日本政府としては、これで人質解放のために身代金を支払うべきか支払わざるべきかという難問から解放されることになる。

その一方でイスラム国は、ヨルダンで死刑囚として捕えられているザジダ・リシャウイという女性の解放を求めている。
日本政府がリシャウイという死刑囚の身柄を確保しているわけではないから、この動画に託されているメッセージは一応安倍総理や日本国に向けてのメッセージの形をとってはいるが、実はヨルダン政府に向けてのものだ、と理解した方がいいだろうと思っている。

折からヨルダン政府ではイスラム国に捕えられ人質になっているパイロットとリシャウイ死刑囚の交換の話が進んでいたようである。

テロとの戦いを長らく経験してきた国では、如何なることがあってもテロには屈してはいけない、テロ集団の不法な要求には一切応えてはいけない、という基本原則が共有されているはずだ。
その基本原則の延長上で、テロリストの釈放に応じると新たなテロ攻撃を受けることになるという認識の下で、死刑囚であるテロリストの解放要求には断じて応じられない、という意見も多かったはずである。
こういった悩ましい問題に直面した場合の政府当局の対応は、大体は結論先送り、時間稼ぎに終始して具体的な解放交渉はいつまで経っても埒が明かないことになる。

多分、ヨルダン政府の解放交渉は行き詰まっていたのだと思う。

今回の動画によるメッセージが実質的にヨルダン政府に対するメッセージだと解すれば、少なくともイスラム国は交渉のテーブルに着く用意がある、というメッセージを発信しているのだ、と読むのがよさそうだ。

今回の動画によるメッセージが、ヨルダン政府に対してリシャウイ死刑囚の解放交渉を急げというメッセージだと解すれば、日本政府としての対処策が見えてくる。
まずは、ヨルダン政府にこれまで水面下で行われ、何らかの事情で頓挫していたと思われるパイロットの身柄解放交渉を急いでもらうよう働きかけることである。

日本政府として交渉の表舞台に立つことは出来ないが、イスラム国とヨルダン政府の人質解放交渉に便乗して後藤さんの解放を実現してもらうことである。
時間は掛かるだろうが、後藤さんを救う道が見えてきた、というところだろうか。

結局ヨルダンに現地対策本部を設置することにした安倍総理なり官邸の判断は正しかった、ということになる。

日本政府としてイスラム国に対して身代金を支払うことは出来ないが、ヨルダン政府に対して日本が何らかの経済支援措置をしても多くの国民は納得するはずである。

イスラム国に特殊部隊を送るよりも、遥かに役に立つはずだ。

勿論、これはあくまで私なりの読み解き方で果たして正しいのかどうか保証の限りではないが、私ならあえてそう読む。