政府が身代金要求に屈してはいけない理由 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

安倍総理が身代金の支払いについて何も言及していないのは、いい。

下手にイギリスやアメリカのように身代金の支払いには一切応じられないという意思表示をしてしまえば、石の心を持ったテロリストたちが何をやるかは見えている。

最後の瞬間まであらゆる努力をしている、という姿勢を示すことでテロリストグループから何らかの意思表示がなされる可能性もあり、また何かの力が働いて人質が解放されたり逃亡したりするという可能性も皆無ではない。

万分の一でも可能性があれば、その可能性に賭けることは許される。

ただし、政府がこの種の事件で身代金の支払いに応じることはやはりどういう理屈を立てても認められないだろう。

身代金要求対処事態とか、身代金対処行政という行政分野があるのかどうかは知らないが、日本でもテロが横行したり誘拐ビジネスが発生したら、政府の高官や一般民間人を人質にしての身代金要求に政府が対応せざるを得なくなることも想定しておかなければならない。

万一日本政府が人質解放のための身代金要求に屈してしまうと、これが重要な先例となる。
事案ごとにある程度の対処の違いがあることは当然だが、基本的には行政の一環としての対処であれば公平性と公正性が求められ、かつ十分の説明責任が求められることになる。

Aという人質の解放のために1億ドル拠出したのに、Bという人質の解放のためには1万ドルだというわけにはいかない。
勿論安易に身代金の支払いに応じれば更なる人質事件を起こす引き金になる虞がある、というのも大事な視点である。
大きな声では言えないだろうが、やはり身代金の支払いはどうやっても出来ない、というのが私の考えである。

まあ、現場にいる責任ある方々は、そういうつれないことはおくびにも出せないだろうが。