紛争解決の勘どころ3-自分の力が及ばないことには手を出さない | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

私自身が扱えない仕事がある。

私自身が行政側の代理人を務めていたことがあり、行政当局の指導をしていた経験もあることから、私が自ら行政当局を訴えるようなことはしない。

弁護士は結構不自由なもので、銀行や保険会社の顧問弁護士が銀行や保険会社を相手にするような依頼は受けられなくなる。
少なくとも利益相反と思われるような仕事は受けられないし、相手から相談を受けた仕事を受けるわけにもいかない。

どんな仕事も3件以上同じ分野の仕事を最後まで引き受けたことがあればそれなりにその分野では経験のある弁護士、専門の弁護士と名乗ってもいいだろうが、まったく経験のない分野では素人同然だから、匆々何でも引き受けられない。

外科手術の経験がない医師にいきなり心臓手術や脳の手術を頼んでも無理というものである。
アメリカのローファームでは、航空機事故訴訟の依頼があっても自分のところでは経験がないから受けられないと答えるのが正しいとされていると聞いたことがある。
日本の弁護士は何でも出来るオールマイティの資格ではあるが、しかし何でも出来るはずだから何でもやっていいということにはならない。

どんな仕事でもそれなりに研鑽を積んでおく必要がある。
勿論、最初は誰でも未熟だから、未熟なことを承知のうえで懸命に勉強して腕を磨きながら一人前に成長していくのものである。

一人前でないのに、一人前のような振りをして何でも自分の商売の種にするようなさもしいことは普通の弁護士はしない。
出来ることは出来るといい、出来ないことは出来ない、と言うのが本来の弁護士の姿である。

勉強の材料をあちこちから探していくことは大事だが、だからと言って頼まれもしないのにすべての係争事件に首を突っ込むようなことはしない。
ずいぶん保守的な弁護士だと批判される方もおられるだろうが、自分の力が及ばないことや自分が受けてはいけない事件には手を出さないのが普通の弁護士である。