戦闘下にある海域での掃海作業まで引き受けることは難しい | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

海賊から日本の商船隊を護ることは日本の国益に資することであり、時には日本の死活的利益が係っているという言い方は間違いではない。
シーレーンの安全を確保するために日本の海上自衛隊の艦船を派遣することには賛成である。
どういう理屈でこれを正当化するかという問題はあるが、この程度のことであれば自衛隊法の改正や特別法の制定で対処することにはさしたる問題はない。

問題は単なる警備行動に止まらないで本格的な戦闘に発展した時にどこまでの行為を認めるか、ということになる。

海上自衛隊の艦船が攻撃を受けた時に自分たちの安全を護るために反撃することぐらいは認めないとシーレーンの安全確保の責務を果たしたことにはならないから、反撃権は当然認めることになるだろう。

それでは、機雷がばら撒かれている海域での機雷の掃海作業はどうか。

その機雷が海上自衛隊の艦船や日本の商船に対する攻撃の一環として撒かれたものならば、そういう機雷の除去のための掃海作業も認められるべきである。
しかし、日本の国益を守るために日本の商船を護るという具体的目的もないのに、特定の国の要請に応えるために戦闘下にある海域で掃海作業を実施するということは一方当事者のための戦闘行為に参加することに外ならず、現行憲法の下では認められないはずだ、というのが私の考えである。

安倍総理が具体的にどこまでのことを想定しているのかは分からないが、戦闘下にある海域での掃海作業まで日本が引き受けるのは難しい。
国際社会の要請に日本だけ応えないのはおかしい、そんなことをしたら日本は世界の国々から除け者にされる、などと言われても、出来ないことは出来ないと言っておいた方がいい。
いくら積極的平和主義だと言っても、そこまで行ってしまうと日本の憲法9条は何の歯止めにもならなくなってしまう。

安倍総理は日本の自衛隊をどこまで派遣しようというのだろうか。

日本の自衛隊は、そこまでの覚悟と用意があるのだろうか。

弁護士早川忠孝の雑来帳「ザッツライッ」

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