片山被告は寡黙な人間だと思い込んでいたが、実は相当饒舌で、自分のやっていることを誰かに知らせたいという欲求に駆られやすいタイプだったように思う。
少なくとも片山被告が作成したというメールの文言を読むと、普通の人よりはよほど多弁なように思う。
本当に寡黙な人から真相の解明に役立つような供述を引き出すのは難しいが、多弁な人には存分に語らせるのがいい。
多弁な人はよく語る。
沢山語る人は、結構本当のことを話す。
どんなに話を作っていても、いつの間にか本当のことを言ってしまっていることがある。
話をコロコロ変える人から本当の話を聞き出すことは難しいが、ある程度本当のことを言いながら一部だけ作り事を交えているときは、沢山の話の中から矛盾する部分を抜き出し、その矛盾を徹底的に掘り下げることで真実にたどり着くことがある。
片山被告に存分に語らせたらひょっとしたら、片山被告は「実は・・・・」と言い出す瞬間があったかもしれない。
聞き上手の人だったら、片山被告からもっと早く本当のことが引き出せたかも知れない。
どの世界にも聞き上手な人がいるが、今回の事件では母親以外には聞き上手な人は現れなかったようだ。
実際には聞き上手な人が捜査当局にも大勢いたはずだろうに。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
実は、捜査当局が取り調べの録音録画を拒否したためである。
佐藤弁護士は、取り調べ状況の録音録画をしてくれれば片山被告は取り調べに応じると言っていたのだから、片山被告に語らせればよかった。
片山被告の供述がなくとも片山被告の犯行を立証する客観的証拠が揃っているから片山被告の起訴には何の問題もない、と検察当局は自信満々だったようだが、傍から見ていると実に危ういように思えた。
結局は捜査当局の見込みどおりだった、という結末になったが、こういう危ない道は歩まない方がいい。
取り調べの全面的可視化を実施しても揺るがないような捜査手法なり取り調べ方法を開発すればいいだけの話である。
被疑者には存分に語らせるべき。
被疑者の言い分には十分に耳を傾けるべき。
捜査当局にも弁護側にも言えることである。
片山祐輔被告事件から学ぶことは、実に多い。
弁護士早川忠孝の雑来帳「ザッツライッ」
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