B型肝炎訴訟の和解について考える | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

命の値段に差は無いはずだ、という原告の皆さんの声にどう答えるべきか。


B型肝炎訴訟の和解協議がいよいよ本格化しているようだが、原告団の皆さんは国が提示した和解案に難色を示しているという。

私の目から見ると厚生労働省もかなり踏み込んだものだと思うが、金銭の話になるとどうもすっきりいかないものだ。


ここは、すんなりと和解に応じられたほうがいい。

ここで原告団が和解を拒否するのであれば、国としては訴訟手続を進行させて裁判所の判決を出してください、と言わなければならない。


国の賠償責任の有無が問われているわけだが、予防接種の注射の使い回しが原因でB型肝炎が発症した、ということが明確に立証されたケースについて症状の程度に応じて国が賠償金を払う、というのは当然であり、その賠償金の金額の算定に当たっては裁判所の認定した金額を参考にする、というのもまた自然のことである。


私は、国側の言い分が正しいと思っている。

C型肝炎訴訟ではもっと沢山の金額を払っているではないか。

命の値段には差が無いはずだ。

国は、もっと支払うべきだ。


これが原告団の理屈のようだ。

一見もっともだが、しかし、一般の国民の立場に立って冷静に考えてみる必要がある。


国を国だと思うから、問題の所在が曖昧になる。

国を国民と置き換えて考える必要がある。

国にいくらいくら払え、というのは、すなわち国民はわれわれにいくら払え、と言っていることと同視する必要がある。


国の試算によると、国が提示した和解条件で未発症者を含めてすべての被害者を救済することとした場合の国民の負担は、30年間で約2兆円に上るという。

原告団の要求する和解条件では、これが約8兆円になるのではないか、ということだから、ここはよく頭を冷やして考える必要がある。


C型肝炎訴訟のように直接の不法行為者である製薬会社に相当額の賠償責任を負わせ、現実にその履行が期待できるケースと、そのような原因行為者の特定が困難で、事実上国が全額の賠償に応じなければならなくなるケースとでは取り扱いに差が生じてくるのは仕方がないのではないか。


一行政庁でしかない厚生労働省に決断を求めるのには無理がある事案である。

私は、そう思う。

まさにこれこそ、国民の代表者として位置づけられている国会議員の衆知を集めて結論を出すべき課題ではないか。

国権の最高機関である国会が決めるに相応しい、大きな問題である。


私は、一地方裁判所の和解手続で、国民に将来大きな負担をかける結果となるような踏み込みすぎた結論は、行政庁としては出すべきでないと考えている。

まずは、公平性と安定性を考えながら、慎重に国の方針を打ち出して欲しい。


未提訴の患者の救済や未発症者に対しての手厚い補償を求める原告団の想いは、美しい。

しかし、国民の代理人であるべき厚生労働省としては、どのような批判を浴びようとも、係属中の訴訟の枠を超えるような和解には安易に応じるべきではない。


その先は、立法府である国会の役割である。

この際、国の不作為によって損害を蒙ったすべての被害者に対する簡易迅速、かつ適正な救済を行なうための統一的な第三者機関を設立する特別法、でも提案したらどうだろうか。