これは私自身への警告でもある。
かつて弁護士会のシンポジウムで岡山に行ったときのことだ。
大会当日の懇親会の流れで街に繰り出した。
東京から一緒に行った仲間でスナックのようなところに入り、大会での議論を続けている。
弁護士会の役員選挙の直前で、参加者は皆、弁護士会の政策マンばかり。
真面目の上に「くそ」が付くような、典型的なお宅と言ってもいいかもしれない。
いいことを言っているのだが、一般の人が聞いたら首を傾げるようなことで熱くなっている。
皆さん、国民は、国民は、とおっしゃいますが、どちら様ですか。
ウィスキーの水割りを作ってくれている女性がそう聞いた。
国民、という言葉を弁護士会の人たちは頻発していたらしい。
国民に開かれた司法、国民のための裁判、国民に身近な弁護士会、などなど弁護士は国民を乱発する。
まるで自分達は国民ではないかのような口吻である。
部外者が聞いていて、この人達は何だろう、ずいぶん変な人たちだな、そう思ったに違いない。
あまり国民、国民、と偉そうに言うものではないな、と思ってきたが、最近国民を多発する人たちに会った。
そう、政治家である。
国民の生活が第一。
民主党の小沢氏がそう言うと、その国民って、誰のことですが、と反問したくなる。
不特定の「国民」、は簡単に信じてはいけない。
世の中には強い人も弱い人も、お年寄りも若者もいる。
病人はどうか、障害を抱えている人はどうか、犯罪を犯して刑務所に服役している者はどうか、等々考えると、「国民」の中身を明らかにして貰わなければ、本当は何を言わんとしているのか分からない。
今のところ、私には、小沢氏は、曖昧に「国民の生活が一番大事」と言いながら、実は自分が一番大事、と言っているようにしか思えないのだが。
(ちょっと皮肉が強すぎるか。)