もともと日本人にはこういう人が多かった/「気骨の判決」を読んで | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

この本のことを書こうと思っていたが、突然の福田総理の辞意表明で目先の事に追いまくられて今日までこの本のことに触れることが出来なかった。


新潮新書の「気骨の判決」(著者清永聡ーきよながさとし)のことである。


「東條英機と闘った裁判官」と副題にある。

「吉田久、命がけで東條英機と闘った裁判官-。

政府に非協力的な国会議員を排除する意図があったとされる『翼賛選挙』では、聖戦遂行の美名の下、国民の投票の自由を実質的に奪う露骨な選挙妨害が行われた。

他の選挙無効の訴えが退けられる中、吉田は特高の監視や政府からの圧力に負けず、戦時中に唯一の「選挙無効」判決を下す。

これまでほとんど知られることのなかった気骨ある判決と孤高の裁判官の生涯を追う。」


要領の良い紹介が帯に書かれている。


「国会議員を選ぶ選挙で、政党が存在しない。

その代わりに、事実上政府が定員と同数の候補者を推薦する。

もちろん気に入らなければ、その人に投票しなければいい。

しかし、推薦候補者の選挙費用は国が出し、選挙運動は警察、道府県、市町村、さらには自治会レベルで後押しされている。

地域によっては推薦候補者に投票しないと非国民と呼ばれてしまい、配給を止めるぞと脅される。

さらに、誰に一票を投じたか調査される所まである。

どこかの独裁国家の話ではない。

日本で実際にあった選挙である。

昭和17年の衆議院議員選挙がそうだった。」


著者はそう書き綴っている。


「後に翼賛選挙と呼ばれるこの選挙では、推薦候補の8割が当選し、議場は圧倒的な数の推薦議員で閉められた。」

「戦時中の議会は、数の上では内閣の提出する法案を、否決することが不可能になった。

一部の議員がなお貴重な抵抗を続けたが、戦争の泥沼へと邁進する政府に議会が歯止めをかける機能は、事実上失われたと言っていい。

三権分立の内、『行政』と『立法』が、いわば一体となってしまったのである。

そんな戦争も末期となる、昭和20年3月。

突如、この翼賛選挙を無効だとする判決が言い渡された。」

「判決文の舌鋒は、極めて鋭い。

ー不法選挙運動は、組織的かつ全般的に行われた。

ー推薦候補者の当選を期するために選挙運動をなすことは、憲法および選挙法の精神に照らし、大いに疑の存する所」


この書きぶりもいい。

著者はNHKの記者であるが、丁寧に事実を追っている。


「日本人の誇りとすべき史実であり、みんなが味読すべき物語である。」

そのように阿川弘行が推奨しているようだ。

私も全面的にこの意見に賛同する。


マスコミの方々がここまで真実の解明に力を入れてくれれば、もっと私たちは日本という国や日本人であることに誇りを持てるのだが。

私たちは、誤りも犯しやすいが、もともとは、もっと気高い存在だったはずだ。