日本の政治家の語彙は、何故貧しいのか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

政治家の語彙は、貧し過ぎる。




政治資金の透明化を求められているのに、適切に処理しています、と鸚鵡返しのように答えるのは、如何にも国民を馬鹿にしているように映る。




せめて、これこれの事情がありますから、詳細の説明は差し控えさせていただきます、とか、既に資料がなくなっているので、正確な説明はできません、とか、法律上義務付けされていないことまで説明を強制される筋合いは無いと考えるので、これ以上のお答えはできません、などと、質問に真正面から答えるべきであった。




政治家が問題をすりかえるために官僚答弁をするようでは、官僚を政治家にした方が良い。


なにしろ、担当分野の知識経験が豊富で、企画力と総合力が優れているし、文書の起案力も政治家より長けている。




余りにも閣僚の失言が続いているので、自民党に対する逆風が止みそうも無いではないか。




それにしても、誰があんな答弁のシナリオを書いたのか。


庶民感覚とかけ離れた応答は、ますます政治に対する国民の不信を募らせてしまう。


担当者の速やかな更迭を期待する。


と、書いてみたが、実際は誰があんな答弁を指導したのだろうか。いかにも官僚的な答弁のように感じるのだが。




今求められているのは、国民の共感を得られるような言葉遣いができる政治家である。


もっとも庶民的な、分かりやすい話しぶりの政治家である麻生外務大臣も、フライングを冒し、とうとうマスコミの標的になってしまった。


塩崎官房長官が次のターゲットになりそうだ。


今のままでは重要閣僚の候補者が次々に次代のリーダー選びからの戦線離脱を余儀なくされそうだ。


誰かが策動しているのかしら。


期待していたのに残念である。




いよいよ、審判の日が9日後に迫ってきたが、その結果が恐ろしい。




今日は地元県会議員との打ち合わせのため夜の駅頭はできなかったが、明日からは私一人でも駅頭での挨拶をするつもりである。




改革を加速するためにどうしても必要な人材が、この逆風の煽りで落選するようなことになれば、改革の芽は急速に萎んでいってしまう。




やれることはすべてやりぬこう、というのが、現在の私の心境である。


この度の参議院選挙は、私たち自民党の政治家を一段と謙虚になるよう、作り変えてきているようだ。


思わぬ効果である。


この選挙を契機に日本の政治家の在りようがまた大きく変わりそうである。




決して悪いことばかりではないな、と自分を納得させている。