京都過去旅続き、レンタサイクル移動。

13:15(今熊野観音寺より2k.10分で到着)
智積院
所在地 京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
山号 五百佛山
宗派 真言宗智山派
創建 1598年
正式名 五百佛山 根来寺 智積院
別称 総本山智積院

境内の皐が有名です。
よく手入れされている境内


一番上の写真は、金堂 1975年再建 (本尊 金剛界大日如来、地下に胎蔵界大日如来)
金堂 明王殿 大師堂を拝観し、講堂 大書院 名勝庭園は時間の都合で行けませんでしたが、大書院障壁画25面、長谷川等伯・久蔵父子作の桜楓図(複製ですが)など素晴らしい障壁画があり、長谷川一門の国宝がみられる収蔵庫、名勝庭園(築山泉水庭)ともに皐月の花が咲く頃、必ず再訪しようと思っています。
御朱印は入口入ってすぐの御朱印所でいただきましたが、入って右側の茶房などがある会館にて智積院オリジナル御朱印帳(長谷川等伯 障壁画 楓図がデザインされています、現在作製中)予約してきました。


14:20
新日吉神宮
所在地 京都市東山区妙法院前側町451-1
主祭神 日吉山七神 後白河天皇
創建 1160年

楼門
社伝によれば、後白河天皇の命により院の御所の鎮守社として現在より南に創建されたと伝えられる。
その後、社地を転々とし現在の社地となったのは豊国廟が再興された1897年。
1959年に神社名を現在の新日吉神宮と改めた。

境内社 末社
豊国神社 天満宮 秋葉神社 愛宕神社

社務所にて御朱印をいただいている時、「江戸時代には豊臣秀吉をお祀りするという事ができにくく、徳川の世が終わり明治になってから豊国神社として名のることができた。それまでは別の名前(樹下社、このもとのやしろと読みます)密やかにお祀りしていた」と神職の方が豊国神社についてお話してくださいました。
社伝 沿革 歴史はとても興味深いですね。

拝殿
拝殿からそのまま進み、階段を上がった所の本殿の前に一対の狛猿:ご神猿
阿吽像があります。
ご神使と云われ厄除け 開運招福などに神徳が高いとのことです。
京都御所にもご神猿像があり、東北角は「猿が辻」と称され日吉の神猿像が飾られています。


15:00
三十三間堂
所在地 京都市東山区三十三間堂廻町657
宗派 天台宗
御本尊 千手観音
創建 1165年
開基 後白河天皇
正式名 妙法院の一部、建物の正式名称は蓮華王院本堂

本堂の南側
この地にもともとあった後白河上皇の離宮、法住寺殿の広大な境内の一画に建てられたのが蓮華法院本堂(三十三間堂)
後白河上皇の頭痛、熊野参詣の伝承が不思議で面白いです(すみません)

現在のお堂は1266年完成
1930年の修理時に装飾鏡の座をはずした下から極彩色文様が現れ、建立当初の堂は彩色でおおわれていたことが判明した。
(私の中の三十三間堂イメージは現在の姿なので極彩色のお堂!想像中…)

堂内中央に鎌倉時代の仏師湛慶作の本尊千手観音坐像安置、
本尊の左右には長大な階段状の仏壇があり、左右の仏壇に各500体の千手観音立像が10段50列に並ぶ。
本尊の背後にもう一体あり、計1001対となる。
内陣の左右両端には向かって左(南端)に風神像、右(北端)に雷神像、
俵屋宗達の風神雷神図屏風のモデルになったといわれている。
千体仏の手前には二十八部衆像のうち四天王四体は本尊周囲に配置。
本堂内、御本尊千手観音立像横付近に僧侶おられ御朱印を書いてくださいました。


三十三間堂から京都駅までは1-2kほどで自転車でピューっと戻りレンタサイクルをお返しし、
16:30には駅構内でしばしゆっくり休憩し帰宅しました。
これにて今年の京都旅は終了です。
来年、暖かくなったらまた再訪することを楽しみに、この秋の紅葉は地元で楽しみます。
神社仏閣記事はちょっとお休みして、映画覚書をぼちぼち書かないと忘れてしまうー。