昨年(2024年の8月末)に横断歩道を横断中に車にはねられて、手首と足の骨折で2ヶ月ほど入院した時に…もちろん痛いのと身動きとれないのとで苦労した。病室(4人部屋…救急病院だから入れ替わりも多い)の夜中とか隣の方が痛みとかでナースコールを押していたので、「ぁあ、みんな痛いんだ…」って変な感情になってたのを思い出す。

自分は、変な薬屋ということもあり、鎮痛剤にとても疑問ばかりで使いたくない性分。だけど骨折…しかも手術もありと…以前にコロナのワクチンが合わなかったのか心臓が3倍に膨れてカラダも膨れて、なんとか利水できてカラダもしぼみ生還できたのだけれども、その時の後遺症?で腎臓にかなりの負担がかかってしまい…その療養中でもあったので、鎮痛剤「NSAIDs」などはどうしても腎臓に負担がかかってしまうので断っていた。それとは違うものを短期だが使用したが、三七人参という生薬を持ってきてもらいそれでなんとか痛みを抑えていた…そのおかげか強張りなどは早期にとれた感じがした。

その後リハビリで転院して2ヶ月の入院中も三七人参と神経系(神経繊維の膜はアブラ)のケアにスクアレンを飲みながら、処方される鎮痛剤を極力…というかほとんど飲まなくてリハビリできた。※退院後の元々の内科での検査でも影響がなくてホッとした。


術後の創傷箇所もほとんど目立たないくらいになっててドクターから「きれいになってますね」と言ってくれた。


そう、必要以上の鎮痛剤(解熱鎮痛剤)は、文字通り熱冷ましなので、効く範囲も実は限られていて、入院中の同部屋の方が鎮痛剤をあれこれ変えても効かないと嘆いていたのをみて、鎮痛剤は万能ではないと確信して、「痛みを止めれば良くなるというものではない」と思った。


「不通則痛(通ざれば則ち痛みとなる)」というように痛みの根本は、止めるのでなく、その損傷箇所にいかに治るための破砕部分の“清掃”と修復のための“供給(栄養・酸素)”が整然と出来なければならないと実感した次第。


痛みは、損傷箇所へのアプローチ。


血液で酸素と栄養を運び、また壊れた部分をいかに運び出すか…建築現場の様がまさに人体に起きていたのであるとしみじみと感じた経験でした。


(薬屋のおっちゃん)