2020年 アメリカ 113分
監督:エメラルド・フェネル
出演:キャリー・マリガン、ボー・バーナム、アリソン・ブリー
ストーリー
独身女性キャシーは、29歳になった今も実家暮らし。7年前、レイプされた親友ニーナが自殺し、ショックを受けたキャシーは医大を中退。昼間はカフェでやる気なく働き、夜はバーで酔った女性に付けこむ男たちに制裁を加えている。ある日、小児科医となった同級生ライアンと再会し、ニーナの事件関係者の近況を耳にする…。サスペンス。
評論・考察・解説・感想
今回はアカデミー脚本賞など各国の映画祭でも数々の賞を受賞されてたこの「プロミシング・ヤング・ウーマン」を鑑賞いたしました。「将来有望な若い女性」という意味のタイトル。まさにタイトル通りの女性の身に何が起こったのかを描いた社会に対して非常にメッセージ性のある作品だと感じました。
この映画を通して僕が、何を思い、何を感じたのかを早速ですが綴っていきましょう。
理由
バーで1人で泥酔している女性。男3人が話し合い、ヤレると判断。そのうちの1人が家にお持ち帰り。そっからパンツを脱がしる最中の「何してんだよ!」から始まる衝撃的なオープニング。
ここらへんの演出も見事。あえて天井のカメラ目線で一瞬で彼女が酔っていないことが判明。
そう、彼女はシラフでした。
キャシーは親友のニーナとともに医学部に通う将来有望な若い女性でした。しかし親友のニーナが同学部の人に酒を飲まされ、性的暴力を受け、周りに訴えても誰も味方してくれず見て見ぬふり。共に学部を中退。遂にニーナは自殺したのでした。
そんな過去を持つ彼女。
夜な夜なバーに繰り出しては泥酔したフリをし、(”酔ってる女はヤレると思っている”)男達に制裁を加えてたのですね。
僕は男としてもちろんそういう行動を起こしたことはありませんが、現にこういうシチュエーションでヤラれている女性被害者はたくさんいると思います。外国だけじゃなく、日本においても。
過去にもありましたよね、慶大のサークルで女性を酔わせて・・・って事件が。
特に泥酔レイプというのは非常に立証しづらいのが難点らしいです。まだ争った傷など抵抗の痕跡が体に残ってあれば立証もできるのでしょうが、抵抗できないのが泥酔レイプ。女性の皆様は気を付けてください。それを狙ってる男は世間には多々いますから。
特に娘を持つ身として、そういう事件が並ぶ度に心が痛くなります。もし自分の娘がそうなったらどうしよう、と。
この映画は女性に対する男の身勝手さ、男性社会における女性の生きづらさ、不便さをテーマに描いてます。社会に呼びかけるメッセージ性の大きい映画です。実際にこの映画を通して僕自身もそこをちゃんと考えさせてもらえたところが、この映画の一番の大きな社会貢献だと思いました。
男の価値観と女性の生きづらさ
前述どおり男の価値観、決めつけ、男尊女卑、男のエゴ、女性の生きづらさが所々に散りばめられているなぁ~と感じました。
朝帰りのキャシー。
「朝帰りか?見ろよビンビンだぜ!いくらでヤラせる?遊んでいきな?ぎゃははw」
「女だろ?にっこり笑え」
と、男達が揶揄う。
(男は良くて)女が朝帰りしたらあかんのか!!
女はにっこりせなあかんのか!?
なんですよね。
僕は男なので完璧に女性の気持ちは完璧には理解できません。でも限りなく女性に近い感情に寄り添ったとき、この現実を見せつけられたとき、僕が女性だったら何が正解のリアクションなのか迷います。そういう下品な言葉を浴びせられ続けて生きていかないといけない人生なんて想像を絶する限りです。でも幾多の女性はそれをくぐりぬけてきたのでしょう。男として絶句してしまいました。今でこそ「セクハラ」という言葉も一般的にはなりましたが、こういうシチュエーションは男が想像できないぐらいあるんでしょうね。
これで笑ってるのは男だけだぞ。
その他、キャシーの母親の存在なんかは女性の生きづらさを象徴してたかのように思えます。お父さんは寛大でしたけど。
結婚適齢期にもなると、早く結婚しろだのあれこれ。そして彼氏家に連れてきたと思ったらコロッと態度変えて・・・みたいな。
女は結婚せなあかんのか!?
結婚だけが幸せの形なのかな?
親は子供が幸せであってくれたら、それで良くない?
礼儀・作法とは違い、幸せの形まで親の価値観を押し付ける親にはならないように僕も気を付けたいと思います。
車のシーンでも女はキレないと思っている男の罵声が飛び交いますが、
女が切れたらあかんのか?
ってことです。
しかも交通量の多いところならまだしも、全然スッカスカでしたからね。横通れよ。
でもこういう男だけが笑っている、男だけがそれは正解と思っていることって現実にたくさんありそうですね。
例えば僕も歴代彼女が家に来たときはセッ〇スはOKみたいな感覚でいましたが、これも男の独りよがりな意見で、ただ家に行って喋りたい。抱かれたくない日々もあったんだろうなぁ~とつくづく反省しています。申し訳ない。(もちろん酔わせてないし、同意のもとで)
ふとした瞬間
医学部で同級生だったライアンと偶然出会い、恋に落ちるキャシー。
しかし彼との会話でアル・モンロー(イギリスに行ったとばかり思っていたニーナをレイプした張本人)がアメリカにいることを知るのです。そして復讐を決心するのでした。
・・今作の性的暴行に限らず、いじめに関してもそうなんですが、皆さんに覚えていただきたいのは
やられたほうはずっと覚えているし、これを忘れることはない。一生ものということを理解してほしい。時間が癒してくれると言ったりしますが、ふとした瞬間に思い出して悲しい気持ちになるんです。
やった方はそんなの一切覚えていなくて、幸せに生きている。
これを常に念頭に置いて日々の行動を戒め、改めましょう。難しく考えずに普通に生きればいいんですよ。
プロミシング・ヤング・ウーマン
こっからキャシーの復讐が始まります。誰も最初は謝らない。許しを請わない。
ニーナの性的暴行を見て見ぬふりしたマディソン。アール・モンローは覚えているけど、彼への告発は覚えていない学長。
誰も最初は謝らない。許しを請わない。
唯一当時のモンローの弁護士のジョーダンだけが反省してた。
しかし中でも僕は学長のセリフが衝撃的でした。
「人は自分の弱さを認めたくないものよ
悪い選択とその過ちによって害をこうむり悔やむことになる
私にどうしろと?
告発のたびに将来有望な男性の人生を潰せと?」
いやいやいや、そいつのためにプロミシング・ヤング・ウーマン(将来有望な女性)の人生は潰されてもいいのかよ!?
根強く残る女性蔑視
「女性理事を選ぶというのは、日本は文科省がうるさく言う。
だけど、女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかる。女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。
女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが。そんなこともあります。
私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。」
この発言で五輪組織委員長だった森さんは辞任に追い込まれました。
もともと「日本は神の国」発言から問題発言は多い人でしたが、昨今のジェンダーレス社会においてこの発言はアウトでしょう。
東京医科大学が受験において女子の合格者の数を意図的に抑え、公平であるべき大学入試で差別的な扱いをしていたのが明らかになったのも記憶に新しい。まさにこの映画の様に医師になりたいという志を持った受験生を女性というだけで排除していたのか。
「女性は結婚や出産で職場を離れることがあり、人手が足りなくなるから」と指摘する関係者。
は?
全員が全員とは言いませんが、特にこの考えは団塊世代やそれ以降の高齢者や政治を牛耳っている年代には根強く残っている古臭い考え方だと思っています。
男女間の給与格差についても。経済開発能力機構(OECD)の調査によりますと、男の給与を100とした時の女性の給与割合は調査した43ヵ国の平均が88.4に対して 日本は77.5と他国と比べて顕著に低い。
女性の管理職の割合に対しても米国の41.4%に対し日本は13.2%。一方で、日本の女性のパートタイム労働者の比率は39.5%に上るそうです。
日本は非常にジェンダーレス発展途上国。徐々に改善されつつはあるようですが、世界基準では全然まだまだ。
これこそがまさにこの映画が訴えていることなのではないでしょうか?
映画とは無関係ですが、この男女の収入格差が少子化に拍車がかかっているのも事実だと思います。
男
これまでに男のエゴや男性社会を批判しておきながらあえて言わせてもらいますが・・・(気分を害したらごめんなさい)
キャシー役のキャリー・マリガンがどう見ても役設定の30歳には見えないことが心残りでした。
ほうれい線、首の皺もくっきりあるし、ずっと42歳ぐらいに見えていたので何でこんなおばさんに惹かれんねんっていう違和感がずっと上映中にありました。プロデューサーとしてマーゴット・ロビーの名前がありましたが、彼女で良かった気がします。マーゴット・ロビーのナース服が見たかった。
ただこれさえも実は計算されてて、そう思うことも女性蔑視なのだと、男のエゴだということ・・・かもしれないって思ったらもう何も言えない。反省いたします。黙っときますw
しかしこの映画ってジャンル何でしょうね?
単なる復讐劇でもなく、サスペンスでもスリラーというわけでもなく、コメディ要素もあり恋愛もありという物語自体もカテゴリーレスなのかもしれないですね。
最後のシーン。監督は最初、キャシーがモンローの体に傷をつけ、チ〇コを切り取り、家に火を放ち・・というラストを考えていたみたいです。しかし、それでは単なるエンタメ映画になり、人々に忘れ去られると。この映画で問題提起するためにもリアリズムを追求していかないと。となり本編のラストにしたみたいです。
これを聞いたときに僕の中で妙にしっくりきたんですよね。
実は序盤のお持ち帰りをはかった男たちに裁きを下している割には具体的にどうしたかは描かれていないんです。
朝帰りのシーンにシャツに付着してる赤い液体もケチャップか返り血かは分からない。
最初は殺した設定にしたのだろうけど、ラストを踏まえてあえてそういうシーンはカットしたのではないかなぁ~と推測しました。
「目には目を、歯には歯を」ではないですが、犯罪を犯罪で仕返しても意味ない。結局、犯罪者と同類になるからね。
だからこそキャシーだけは法を犯さずに「悟らせる」という方式で復讐をする展開に振り切ったのではないかなぁ~と。あくまでも僕の想像ですけどね。
最後のキャシーのベッドシーンも、女性が腕力では男に勝てないことを如実に表していて
だからこそ、我々が女性の人権をどう守るべきかを問いただしているのではないでしょうか。
男であることが情けないし男であることが申し訳ない。
自分が男であることにずっと心が痛み、男であることを悔いる。
終始心が揺さぶられる映画。
正直、何度も見返したい映画ではない。
でも全世界の男性陣に一度見てもらって、男であることのみじめさを痛感、女性に対する男尊女卑の社会について反省してほしい。
そんな映画だ。
採点
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️☆☆☆ 7点(10点満点中)