こんにちは
やましたひでこの
「断捨離塾」の今月の
コンテンツを
視聴しました。
「正解」 の断捨離
むむっ、
正解って

「正解」の断捨離
私たちは
長年の学校教育の
中でか
常に
「正解」を求めたくなります。
もちろん、
数学や物理には
正解があるのでしょうが。
でも、
人生において
何が正解か
な~んて
ホントは
誰にもわからない。
私自身の過去を
振り返って思いました。
私をコントロールしたかった母。
それに反発しつつも
従うしかなかった私。
今もって
そのことについては
思い出したら
ムカムカします
そして、
イヤだったにも
関わらず、
母に従うしかなかった
自分自身を
情けなく思ったり
今過去を振り返れば
もっと
自分を主張してもよかったと
思いますが、
その当時は
母に従うしかなかった。
そして、
従うことを受け入れたのは
もぎれまなく
自分自身。
そう、
どんなに納得の
いかないことであっても
その時の私は
母に従うということを
選択したのです。
絶対にイヤだったら
もっと何か
別の行動を起こしていたはず。
それをしなかったというのは、
結局は
自分がその道を
選んだということ。
そして、
その時点で実は
自分の責任なんです。
でも、
従った結果、
うまくいかなかったら
そこは
母のせいにしてしまう
自分がいました。
もし、うまくいっていたら
どうだったでしょう
母のおかげと
思ったでしょうか
いいえ、
そうは
思わなかったでしょうね
私は自分が
母に強烈に
コントロールされたことが
ものすごく
イヤだったので、
自分の子どもには
絶対に
そうはしない
と固く
心に誓ったのでした。
そういう意味では
母を反面教師にしたのです。
その結果、
子どもたちは
二人とも
自由に人生を生きています。
それについて
もちろん、
心配になることも
あるけれど、
いくら子どもとはいえ、
自分とは別の人格を持った
一人の人間です。
正解かどうかは
わからないけれど、
自分で決めたことなら
自分でなんとかすると
思います。
そして、
正解かどうかに関わらず、
自分が幸せであったなら、
(人に迷惑をかけることは別として)
それを周りが
とやかく言うことでは
ないと思うのです。
正解かどうか
正解でなければ・・・
そういう生き方は
窮屈ではないでしょうか。
人生の愉しみや喜びは
正解か不正解かを
はるかに越えたところに
あるような気がしてなりません。
それに
人生なんて
間違いだらけで
いいんじゃないかと。
間違ったら
そこから
やり直せばいいんじゃないかな。
それが
人間というものでは
ただいま、
スプリングキャンペーン中です
あなたの断捨離をぐんぐん
後押しします
(4月中)
いつからでも始められます
残3
残2
残3
原田千里トレーナーの
「断捨離的エンディングノート」
今後の開催予定&お申込みはこちら
https://www.reservestock.jp/page/consecutive_events/25321
関西組のおウチ、
ホンマに行ってみた~
私のお家です



メルマガ登録してね!