1月17日夜、
幼い頃にお世話になった叔母が
この世を去りました。
95歳でした。
一般的に見れば、大往生。
長生きです。
それでも、やはり
残された家族にとっては
寂しく、悲しいものに違いありません。
お越しくださり、
ありがとうございます😊
大阪在住のうさこです❣️
昨年末、叔母の住む家の近くまで
父と一緒に行く機会があったので、
叔母に会いに行きました。
95歳とは思えないほど、
肌がツヤツヤで皺もない。
本当に綺麗でした。
ちょうど、叔母はお昼ご飯を
食べようとしていました。
そこに、ちょっとお邪魔して
しまったわけです。
30年ぶりぐらいに会った叔母は、
私のことを覚えていてくれたのかどうか、
ひとこと、
「えらい変わったな〜」
そりゃあ、30年分歳くってますから

父のことは、弟なので
もちろん、覚えていました。
時間がなくて、ゆっくり話せなかったけど、
自分で座ってご飯を食べれるなら
聞いていたよりは元気そうだと
感じました。
なのに、突然の訃報。
亡くなる前に、
介護をしてきた家族に
何度も何度も
「ありがとう」
と、言っていたそうです。
人は、自分の死期が
わかるのでしょうか。
私が小さい頃、
父方の祖母の介護を
母がしていましたが、
亡くなる前日に
祖母が母に
「○○さん(母の名前)、
明日から楽してや」
と言って、
翌朝亡くなりました。
この日のことは、
なんとなく覚えています。
祖母も長生きでした。
ただ、人の生き死には
わからない。
若くて元気でも、
朝元気に家を出たとしても、
突然亡くなってしまうこともある。
逆に、病気がちであっても、
長生きできる場合も。
以前、やました先生が
人の生き死には、
健康かどうかとは
関係ない、
というようなお話をされたことがあった。
ならば、私たちは
どう生きていけばいいのだろう。
一瞬一瞬を大切に。
言うのは簡単だが、
実行するのは難しい。
私なんて、時間があったら、
ついスマホを見たりして、
ダラダラしてしまう。
私は病気になって、
自分がやりたいことをする
自分が行きたい所に行く
自分が会いたい人に会う
ということを
強く強く誓いました。
それまでは、
〜ねばならない
〜するべき
という考えに支配されていて
WANTがまったくなかったから。
その頃は、断捨離はまだ
世の中に出ていなかったけれど、
まさに断捨離でいう、
他人軸、世間軸でした。
それが、病気になって、
断捨離でいうところの自分軸
でいこう
と、心の底から思ったのです。
このコロナ禍、
思うようにはできないことばかり
だけど、
その中でもできることはある。
行きたいところへは、
まだ行けないけれど、
会いたい人には
リアルで会えなくても
zoomで会えたりする。
人に感謝の気持ちを
伝えることは、
今すぐにだってできる。
できないことばかりに
目を向けるのではなく、
できることをみつけて、
それをやっていこう
それを再確認したのでした。
今日も最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました😊
今日の1日1捨
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