電車が近づくと

 チン・チン・チン・チン・・・♪

 

そんなかわいい音の踏切が

 昭和の時代にいっぱいありました。

 

多分ですが還暦過ぎの方しかこの踏切を

 ご存じないのではないでしょうか?

 

 

当時、一部の小さな踏切以外では「踏切小屋」という

 人が一人か二人ほど入れる小さな小屋が横にあって

  人間が遮断機の操作を手動でやっていたのですね。

 

電車が接近すると 小屋の内部に「上・下」の方向表示と

 「車両接近中」などのランプが光り

「ブー」というブザー音が鳴って

  旗を持った係り員が窓から線路を確認し

電車が去るまで見張っていたと思います。

 

 

当時の国鉄では自動踏切の完備が進むまで

 多くの「踏切番」の人的操作で運用されていました。

 

電車が頻繁に来る時間帯では交通も踏切で渋滞が発生するので

 電車がかなり近づいていても ギリギリまで開けてくれたり

  僅かな時間、途中で開けてくれたりして・・・OK爆  笑

多少の融通も効いたものです。

 (多分本当はいけない行為だったのでしょうが)

 

 

私の通っていた幼稚園の先生が

 数人の生徒をつれて踏切小屋にゆき

  踏切番のおじいちゃんにおやつを届けたり

・・・そんなこともありました。

 

*****

 

昭和30年-40年代中期まで残っていた手動式の踏切は

 順次、自動踏切に変わってゆき

 

駅の横の踏切環境では容赦なく

 駅に電車が接近/停車中の場合でも

  踏切が下がりっぱなしになって長くなり

 

駅の近くの踏切は ほとんどが「開かずの踏切」に変貌し

 交通の邪魔に一気に変わってゆきました。

 

 

 

チンチンチン・・・

 

かなりうるさかったですが、 鳴り始めは

 チン・・・チンチン・・・チンチンチン・・・

起動も少し遅く

 

電車が通り過ぎた後も

 チンチンチン・・・チン・・チン・・・・・・・チン

 

ゆっくり減速しながら止まったものです。

(ゴングの駆動方法は 電磁石式ではなく 

多分、ギヤモーターでゴングを叩く構造だったのですね。)

 

 

私の住んでいた町の駅の踏切の横に

 友人が住んでいて 窓の真横が「警報機」であり

  手を伸ばせば触れそうに至近距離。

 

遊びに行った私は 慣れていないから

 鳴るたびに飛び上がりましたが

  当の本人の言うには

「夜中も 早朝も鳴るし・・・もう慣れた!」・・・と。

 

しかも早朝や夜中は 鳴る時間が減るので

 その時間がわかる・・・とも。

 

起床も 食事も

 夜 早朝は 時計代わりになっていたと言っていました。

 

でも 窓の真ん前が警報機じゃあ・・・

 耳が休まらないとは思うのですが。 キョロキョロアセアセ

 

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昭和45年以降

 順次電子音化されて

 

チンチン・・・ではなく

 ランランラン・・・という特別な音に変わりました。

 

指向性(音の出る方向)を電子化、(指向性スピーカー)に変更し

 周囲の住宅に影響させず 車道や歩行者に効率よく届くように

  ホーン構造に改良されたのですね。

 

その電子音の音源はこの半世紀以上

 変わっていないのが面白いです。

(多少はあっぷでーとしたのかな?)

 

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夏の暑い「焼ける小屋」の中でも

 冬の吹雪の「凍るような小屋」の中でも

 

踏切番のおじいちゃんが微笑んで・・・

 あるときは真剣に。

  踏切内に人が転んだら旗を持って走って助けに行って

 

多くのドラマが有りましたね。

 また小説や映画の中でも

  「踏切という場所」は 効果的なシーンに使われました。

 

 

現在私の住む田舎の街でも まだ無人踏切も残っていますが

 都会ではほぼ無くなりつつ踏切。

 

昭和の時代は町の インフラの碑として

 立っていました・・・

 

 

チンチン ベルの鳴る踏切

 その横に佇む踏切小屋

  私にとって懐かしい町のシンボルでした。