今頃父は死んだだろうか。

 生きていれば90歳くらい・・・生きている可能性はあるものの

  最後に会ってから30年くらいは経つだろうか。

 

 

昨年、母の描いた大量の絵日記を処分して

 シリーズ化されて漫画になっていた最初の1冊の前に

  「序章」があったのだ。

 

 

 

このシリーズ化された私の毒母が描いた絵日記は

 退会前のIDアカウントでは専用のテーマでピックアップしていたものの

  今では何も残っていない。

 

 

私の両親は言わゆる「毒親」であり見栄っ張り 暴力的。

 極貧でも「大富豪」を演じるために手段を選ばなかったが

 

しかし父も母も 私が生まれる前には

「まともな希望」があったらしい。

 

序章の日記は

 母が私を妊娠したそのころから始まっていた。

  1959年ごろ。

 

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父も母も 私のような出来損ないが生まれるとも知らず

 生まれてくる子供(私)は「野球少年」になるという

  「希望的ストーリー」で終始しており

 

「巨人の星」

 を思わせる希望的観測な夢があったみたいだ。

 

 

父は六大学野球の選手であり

 父もまたその父から「巨人軍」に入る血の滴る訓練をうけたそうな・・・

 

 

母の描く漫画には 野球帽をかぶり バットを担いで

 手にはグローブと野球ボール・・・

 

「夜中まで父とキャッチボールを続ける」私を主人公にしたストーリーが

 事細かく描かれていた。

 

 

しかし生まれた私はクラインフェルターで女の子の遊びしかしなかった。

 (ドールハウスや裁縫、人形作り、ままごとセットしか遊ばなかった)

 

 

父方の祖母が運営していた「老人会=今で言う個人の介護サービスみたいな」

 そこに来ていたお年寄りから「スポーツ用品」「怪獣のソフビ」など

  いっぱい貰ったのだが 私の希望は「ままごとセット」「人形遊び」だった。

 

*****

 

小学校に入って 父が突然に私専用の野球用品を買ってきて

 「今日から野球をやるぞ」との掛け声で 突然始まった野球練習。

 

 

でも私は簡単なキャッチボールも出来ず

 父はそれを見て私とは口を利かなくなってしまった。

 

父との心の絆が切れたことは 父の素振りから

 幼少期の自分でもはっきりわかった位だった。

 

 

 

昭和30-40年代・・・男の子が怪獣遊びや野球に興味がないということは

 不健全で将来「不良少年」「未来は犯罪者」というような

  レッテルもしっかりあって 私は近所の子供たちからも孤立してゆく。

 

 

別にスポーツ自体が嫌いというわけではなく

 「野球のルール」が複雑すぎて「スポーツ」ではなく「ゲーム的要素」が

  強すぎたためである。

 

 

マラソンは早くゴールにたどり着ければ良い。

 サッカーはゴールに ゴルフはホール入れれば良い。

  やり投げは遠くに飛べば良い。

 

どんなスポーツにも「インチキ」を防ぐなどの目的でルールは有るものの

 野球のように(特に守備)など複雑なシステムが有り 知的障害の強かった

  IQ30の私に野球の理解は無理だった。

 

 

追い打ちをかけるように小学3年の頃 体育で「野球」がテーマとしてあって

 私は授業中に恥をかき、自分へのいじめにつながった。

 (当時女子も野球のルールくらいは知っていたらしい)

 

 

野球は打者側は球を打てばいいが 打球が塁近くに飛んでゆけば

 1塁 二塁に走者が走れず大渋滞・てんこ盛りするし

 

守備をしていた場合 自分に打者のタマが飛んできたら

 どこに投げれば良いのかわからない。(その都度変わる)

 

 

投球の返送に困ってピッチャーに投げたら大ブーイングだったし

 走者にぶつけたらこれもバカにされた。

 

アウトになりそうな走者の先に投げる?

 そんな複雑な予測演算をこなすほど私はスパコンではない。

  IQ30はどう見てもIQ30でしかない。

 

私にとって野球は鬼門であって 謎だらけ。

 

盗塁? そんなことアリなの??

 打ってもいない球を投げて得点に? それって反則じゃないの?

  ならゴルフでボールを手でカップインすれば

毎回 全ホールはホールインワンじゃないの?

 

 

 

そんな私は父に「野球のここを教えてほしい」

 そう言っても 二度と私には教えてはくれなかった。

(馬鹿すぎて相手にしたくなかったんろうなあ・・・)

 

 

男にとって野球というチームの絆は

 親子の関係すら裂くもの・・・私にはそう記憶された。

 

野球を理解できない・・・というハンデは

 昭和の時代、男児として生きるためには相当な苦労が多かった。

 

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後日、父方の祖母(生前1970年頃)に野球の話になって

 

父は私が男の子が生まれたとわかったとき

 今度こそプロ野球選手に自分の家族がなるかも知れない

 

そう期待していたというのだ。

 

 

私は父の希望からかけ離れた形で育ち

 私が中学2年頃 父は自宅から去ってゆく。

 

 

父は一度名字が変わっている。

 

父が高校に入る頃、祖母と祖父が離婚したため

 姓が祖父側で連れられ その後 実母の祖母のもとに行き

  祖母の旧姓に戻っている。

 

 

しかし野球選手になるため練習には余念がなかったらしい。

 祖父は祖母と離婚後に地元でパン屋をやったらしいのだが

  店の売上からカネを盗み出し 野球用品を買って

祖父から暴行を受けて家を追い出されたらしい。

 

 

父は野球のためなら

 どんなことでもやってしまったらしい。

(でも売上のかっぱらいはなずいなあ・・・)

 

*****

 

現在でも野球のことは何もわからな私。

30年ほど前に スポーツ用品メーカーから

 野球用のレーザーのバッティングシュミレーターや

 

試作金属バット試験用のバッティングマシンのロボット設計などあって

 私は難なくエンジニアとしての業績は積むことができたものの

 

私は未だに「野球」を見ていて ルールも

 「どこが面白いのか」もわからない。

 

 

練習場の場所は食うし スポーツ用品として高価だし

 失敗するとチームの連帯責任にはなるし いじめに繋がるし

 

*****

 

ただ、母の絵日記を発見した最後のときに

 少しだけ涙が出た。

 

 

私は父の希望には

 何一つ叶えることが出来なかったのだ。

 

 

 

60年以上前に母がが描いた絵日記漫画の

 父が楽しみにしていた「野球少年の子供を育てる夢」を

   ほんの僅かにも私には叶えられなかった。

 

 

父が今でも生きているのか

 死んでいるのかさえわからない。

 

 

私が30歳くらいの頃 最後に会った父は一部上場の有名会社のCEOとなり

 六本木の森ビルの最上階に務めていて

  横浜市内に大豪邸を構えている・・・そんなことだったが

 

母と離婚後に事業に成功した父が私に渡そうと持ってきたのは

 イギリス製の高級スーツだった。(要らないと言って返した)

 

 

私のポニテと和服姿 雪駄を見てがっかりしたのか

 戻ってゆく父の背中は寂しそうだった。

 

その姿を私は忘れられない。

 

 

 

人間、親と子が血がつながっていても

 その才能や希望が叶えられないことは多くが知っていると思うものの

  私は父の希望をわずかにも・・・ここまで無理だったことは

 

 

今でも 会うことが出来たら謝罪をするべきかな・・・

 そう思っている。

 

 

***** 余談 *****

 

私も多少は努力はしたのです。

 

1970年代に野球漫画でキャプテンという漫画があり

 友人が全部単行本を持っていたので借りて読みました。

 

1970年代には野球漫画はたくさん出ていて

 私は「キャプテン」という本が好きでした。

 

これを読めば野球に詳しくなれるかな・・・でも

 本 ストーリーは面白かったですが 結局漫画としての感動であって

  野球の技術的な話は漫画と事実は大いに違いますね。

当時、投稿用の創作は大量にしていたので 文章で表現しようとしたら

 やっぱり野球に詳しくないと無理でした。

 

巨人の星という漫画もありましたが 内容的に残虐で暴力的で

 ちょっと引きましたが。

 

70年代のスポ根

 最近は見ませんが もう流行らないのかな・・・

 

 

 

みなさんも何か憧れのスポ根番組

 ありましたでしょうか?