借金の定義として いろいろあるので

 「ローン」とか「奨学金」などを外した

   友人から緊急に借りたという意味の借金の話です。

 

 

人生で 個人で

 三回ほど借金の経験があります。

 

 

● 一番初は

   高校時代に学食の昼飯代 300円を借りた件。

 

● 二番目に

   バイトで私鉄の車庫で生活していて

    近くのATMのトラブルで

     電車の運転手から1000円借りた件。

 

● 最後に数年前・・・

   東京に出張中 財布を無くして

   (でも上野-東北間切符は持っていた)

 

上野までの地下鉄切符170円を先方の社長に借りた件。

 

*****

 

小銭170円を借りようかと(半端なので500円でも)

 仕事で仲の良かった社長さんに近づき

 (彼は自分の机の場所で小会議していた)

 

 

「あの・・・

  お金貸してくださいっ!」 パーニコニコ

 

 

そう言ったら 会議の数名も 社長さんも

  ひどく怪訝(けげん)そうに私を見つめて

   ・・・シーン 全員がびっくり顔 びっくり

 

 

えー・・・500円借りるのに

 そんな顔しなくたっていいじゃん・・・ショボーンガーン

 

 

目で食い入るように私を見る社長さん。

 

・・・あの

  ・・・いくら欲しいの?

 

 

そう、私は「500・・・」とか言いかけて

 ご・・・500円硬貨 1つ・・・

 

 

しばらく沈黙の末 アハハハハ

 突然笑い出す全員。 笑い泣き爆  笑笑い泣き爆  笑

 

 

社長曰(いわ)く

先に金額を言ってよー

 ものすごい金額の借金の

  申込みかと思ったよ! びっくりしたー

 

 

500・・・と言った時点で

 500万の事業資金 とか思われたのかな・・・。

 

 

私にとって まあ

 500円でも大金と言えば大金だけど。

 

*****

 

確かに私も還暦過ぎるまで

 借金で破たんした人 同業者もいっぱい見ましたね。

  大概は行方不明とか(消えるか消されるとか)

 

私が借りる借金 とは 500円とか

 1000円とか 2000円とか

 

 

借金の原因の多くは事業資金ですが

 私はサラリーマンから自営業に転じたとき

  自宅で買った二段ベッドの上がオフィスだった。

(起業に3万円くらいはかかった)

 

 

借金0円からでも設計事務所は作れたし

 計測器 工具設備も自分でジャンクを直して使っていたし。

  基板加工設備は手作りだし(今でも)

 

 

事業資金を借りること自体

 家族に危険を強いるのですから

  私の考え方は 1円借金して100万儲けるより

 1円も借りずに少しの財産を築き 自立したかったこと。

 

 

独立起業する際に事業資金は必要だけど

 万一失敗した時 戻れる 再起できる「可能性」

  は残しておかないとね。 上差しウインク

 

人から逃げて暮らすのは

 絶対にいやだから。

 

 

*****

 

工業高校時代に借りた300円の件

 

 

うっかり昼食代を忘れて

 教室でポツンと座っていたら

 こわーい番長のM君が

 

昼飯、食わないのか!

 カネが無いなら貸してやる!

そう言って300円を私に出したのです。

 

 

そう、M君はこわーい番長で

 彼にカネを借りたら翌日10000円は確実な噂。

 

 

怖くて

 「いらない」 パーえー

   そう言ったら

 

ミズクセーなー

 貸してやるんだから

  俺がメシ食えって言うのが聴けんのか!

 

 

明日・・・いくら返そうか。 ショボーン

 そう思いながら昼食を食べていたら

  別の友人が「誰かにカネ借りたのか?」

 

うん・・・M君から300円

 

えー Mから300円!?びっくりピリピリ

 明日30000円は請求されるぞ!

 

 

 

翌日朝 M君に

 500円? 1000円?

  財布を開いたら 300円しか取らなかった彼。

 

利子は?

 

 要らねーよ。うるせーなー

  さっさと早くあっち行けよ。ムキー

 

 

そうでしたね。

 工業高校では電気実験レポートが単位に直結するのですが

  彼の不得意な工業計測の課題を私がいつでも代行していたんですね。

(担当教師も薄々承認済み)

 

 

番長のMくん。

パーケンやら 暴走族ステッカーとか

 高額でクラスの皆に売りつけていたけど

  私のところには来なかった。

 

 

私には当時、小遣いが無く

 (奨学金で在籍していたのを皆も知っていて)

  M君は私に優しかったなー

 

 

でも高校三年のときに

 M君は バイク事故で・・・内臓破裂。

 

悲しい思い出となりました。

 

*****

 

1975年ごろ東京では

 「目黒エンペラー」と「スペクター」の暴走族グループが争い

乱闘して 多くの高校生が亡くなったり

 大けが 重傷で修学不能になったり。

 

 

今でも遠くの通りで

 

 

今、真冬でもロケットカウルつけた暴走バイクを見るたびに

 自分の高校時代を思い出します。

 

華々しく散って行った若きライダーたち

 

自分に合わなくても頑張って

 頑張ってレポートを書いていた工業高校生たち

 

 

生きていたら みんな 爺ちゃんになったよねー

 私ももうすぐゴールだけどさあ・・・

 

*****

 

怖かったけど どこか優しかったM君。

 借金300円の利子は そのうち払うから

  もうちょっと待っててねピンクハート