ジェニファーの管理者更新



健のベッドに寝かされたままのジェニファーは肢体の全機能を制限され一時停止されたままだった。
彼は整備を済ませたジュリアの機体を移動させるために彼女を探す。 工場から出た彼は家の中で全ての部屋を見て回っていた。


「ジュリアここかい?・・・悪いけど機体を少し移動・・・おいジュリア、何してるんだ!」

健が寝室に入ろうとするとジュリアはベッドで停止しているジェニファーの髪を切ろうとしていた。


「ジェニファーなんか丸坊主にしてやるの!」

「やめろ、おい!・・・端末のウイッグ交換するのは僕の作業なんだぞ。」

健は彼女からハサミを取り上げる。「危ないじゃないか! 顔に傷でも・・・」


「冗談よ、でも少しばかりかわいい顔だからって何か気に触るのよね。 サファイアも逮捕はしなかったし・・・みんなジェニファーにだけは甘いのね。」

「そうじゃない、彼女も辛かった上での衝動だったんだからそれなりに皆は理解してるんだ。」

彼はジェニファーの髪を撫でる。「かわいそうに。」

「そうかしら? タカとはずいぶん一緒に行動してたんだし十分に満足だったんじゃないの。」

 

「ジェニファーなりの苦労は有ったのさ・・・あとでサファイアに頼んで端末だけ再起動するんだ。」

「殺されても知らないよ。 健の頭をプラズマアームピックで撃とうとしたんだから・・・ジェニファーのプログラムってどれだけ壊れているんだか。」

「あの時は興奮していたんだから仕方がないさ。」

 

「ふーん 人工知能が興奮するの? まさかあ・・・私なんていつでも冷静じゃない。 コンピューターは決まったプロセスに従って正確に動作するのが仕事なのよ。」

「嘘言え! さっき君だってハサミ持ちだしたじゃないか。 冷静って何が基準なんだよ。」

 

「じゃあ勝手にしたら・・・私、李李に朝ごはん用意してくる。」
彼女は不機嫌そうに部屋を出て行った。



朝食後に健はコーヒーを飲みながら寝室の窓の外を見ていた。
「もう春だな。」

「何のんきなこと言ってるの?」 健が気付くとジュリアは窓の横に腕を組み立っていた。
「ジュリア、 君はあれから機嫌が悪いんだね。 僕はカレナの残したものを少しづつ整理している・・・李李が元気に残ればカレナも幸せだから。」

「人間って死んだ人は過去なのね。」
「違うよ・・・カレナはもう戻らない。 李李の記憶にさらに悲しい思い出を残したくないんだ。」


「李李のため? それってウソよ・・・健、 あなたは単にジェニファーが好きなのよ。」

「そう見えるかい?・・・彼女は永遠にヤンのものさ。 メインプログラムに彼のイメージングが固く書き込まれている。 もう消去可能なデータエリアをはるかに越えてるんだ。」

 

「サファイアに頼めば部分消去してくれるよ・・・さっさと頼んでみたら?」


「その後の影響が大きすぎるね。 全データエリアの半分以上にヤンとの思い出が詰まっている・・・下手に部分消去すると混乱して正常動作出来なくなるな。」

「もう消せない時期にまでに来ているの? まだ耐用年数の25%しか機能していないじゃない。
「ああ、 多分無理だ・・・やめておいた方がいい。 サファイアもそう言っていたし。」


「不幸ね・・・消せない記憶って。」
「君は人工知能の初期化に対して抵抗はないのかい?」

「多少はあるけど・・・ でも初期化は私達の権利ね。」
「記憶って自分の財産だろう? 奪われて悲しくないのかな。」

「嫌な過去も消一緒にせるのよね。 心だけでも新品になれるのよ。」
「へえ・・・人間には信じられないな。 君たちは初期化も自爆も権利なんだね。」

「人間って大変ね。 消したい記憶と一生お付き合いなんて。」
「それが悪いことか良いことなのか分からない。」
健は窓の外を見ながらジェニファーの髪を撫で続けていた。


「あと30分後にサファイアに頼んで意識だけ戻す。 様子を見て全機能をイネーブルするさ・・・君はもうガルバのところに戻りなよ。」

「私、ここにいたら邪魔なの?」 彼女は健を少し睨むように見つめる。

「起動時に私も立ち会うよ・・・またジェニファーが騒いだりハングしたらどうするの?」

「じゃあ本当のことを言おう・・・再起動時に君に居られると邪魔だ。」 健は少し怒って立ち上がった。

「不安定を伴うし細心の注意が必要だしね、 それも自殺未遂なんだよ。 ヤンが死んだという基本的なダメージはそのままだし。」


「そう・・・判ったわ・・・私が邪魔なのね。 うん・・・わかった・・・李李のお昼とおやつの準備だけして・・・私、帰るから。」

ジュリアは日の当たる寝室から出て行くがドアを閉める前に立ち止まって振り返る。

「健・・・エルロンの修理、ありがとうね。 尾翼のバランスセンサーも調子いいよ。 さっき通電したけど問題なかったの。」
「ああ、 倉庫用リフトの代替センサーで済まないね。 でも補正できる範囲だし・・・調子悪くなったらまた来なよ、 待ってるから。」

「うん・・・あと私、当分はここに来ないから。 李李の事、よろしくね。」
ジュリアは静かに部屋を出て行った。



ジュリアのエンジン音が遠ざかった時、通信カードをポケットから取り出してジェニファーの寝ているベッドの横に健は座った。

「サファイア・・・今いいかな。 ジェニファーの強制停止の解除頼みたいんだ、 解除コードは昨日話した補数値だから。」

「はい。 再起動が不安な場合は私が同席しましょうか?」
「いや、大丈夫・・・ちゃんと話しあうから。 ジュリアにもさっき帰ってもらったんだ。」


「健・・・あなたはタカに似ていますね。 何事も論理的かつ平等に解決しょうとする態度は良い対処です。 いつも相手の気持ちを大切にするのですね。」

 

「いや、非常時でなければ相手への強い影響があるからさ。 誰だって納得出来ない指示には従いたくないしね。」

「では2分後に思考エリアだけイネーブル(動作許可)します。 異常が有ったらすぐ連絡しなさい・・・最初は武器や肢体のコントロールは切っておきます。」

 

「ではよろしく。」

「あと・・・ジェニファーがタカの死を下層モニタ領域で受け入れればですが管理者更新のメッセージ・パフォーマンスを行うはずです。」

 

「え?・・・管理者? パフォーマンス? ダンスでもするのかな。」

「はい、いつになるかは明言できません・・・その時が来れば分かりますから・・・では。」


「おはよう、ジェニファー先生。 もうすぐ9時だよ。」
健はジェニファーの顔を覗き込みながら髪を撫でる。 彼女はゆっくり目を開いた。


「健?・・・今日は・・・あれから何日経ったの?・・・RTCC(リアルタイムクロックカレンダー)がまだ機能していないから日付と時間がわからない。」

「3月30日、日曜日さ・・・君を通常機能からディセーブル状態にしてから5日経ったんだ。 RTCCはもうすぐ起動するさ、心配はない。」


「私の体が全然が動かないの・・・健がわざと止めてるの?」
「うん、サファイアの制御下に今は設定してある。 だからもう少し我慢してほしいんだ。」

「私を信用出来ない・・・のよね?」

「ああ、 君がまた変な気でも起こしたら困るからね。 園長には当分休暇願いを出しておいた、 細かい事情は説明していないから端末のメンテナンスの関係と言っておいたしね。」


「私、タカの骨を海に落としちゃった・・・もう絶対に拾えないね。」

「君があんな事を強行するからだよ。 サファイアが説得しようとしているのに指示に従わず高速で逃げるから。 あの晩たまたまジュリアが近くに居たから良かったけどね。 アハハ・・・もうあんなにブースター加圧しちゃダメだよ・・・フライホイールシャフトとスラスターノズルが破裂しちゃうぞ!」


「体・・・動かしたいの。 まだダメ?」

「今後君が自殺を二度と考えないのなら全機能解除を行うよ。 必ず約束してくれるかい?」
健は彼女にキスをする。 ジェニファーは目を瞑った。


「指きりげんまん・・・小指も動かないから無理ね。」

「ゆびきり?・・・何だい? それ。」

 

「タカとよくしたの。 約束のおまじない。 旧人類の子供の約束の遊びだって。」
「へえ・・・初めて聞いたな。 じゃあ体を動かせるようにしたらその時にやろう。」

「うん・・・皆に迷惑かけた・・・恥ずかしい・・・私、逮捕勾留されるのかな?」
「いや、サファイアはヤンの死が原因だから咎めないってさ。 でも当分は執行猶予中だから騒ぎは今回限りだよ。」

「そう・・・私は初期化したほうがいいの?。」
「君はサファイアシティ幼稚園の名物先生だろ? 記憶を初期化したら園児達全員が寂しがるさ。」

「もう仕事する気がないの・・・幼稚園や教育委員会にも戻りたくない。」

「李李は今度、幼稚園に入るんだ。 出来れば担任になってほしいけどもしダメなら家の中だけでもいいからカレナの代わりに李李の母親代わりになってほしい。 僕は作業で出張が多くて子供の面倒も十分見られない。」

「4月20日の入園予定だよね?・・・あ、カレンダーが起動した。」
「そうだよ、 先月4歳になったんだ。 あと僕は君をジェニって呼びたい・・・いいかな。」

「はい・・・うん。 いいよ。」
「ジェニ、これからもよろしくね。 君の船体メンテナンスは今後も僕が担当する。 壊れた船尾ブロックは今月中に修理するから・・・でもパーツが足りなくて修理開始は来月以降にずれ込むかも・・・だけどね。 ごめんよ、アンカーショットで後部のカーゴハッチも壊しちゃったから痛かったろう!

「あはは 本体は宇宙船だから痛くないよ。 もう自滅することは考えないから・・・端末だけでも動くようにして・・・お願い、 これじゃあ李李のお世話もできないよ。」


「二度と死にたいって言わないでくれよな。 その約束を必ず守れるかい?」

「うん・・・絶対。 指きりげんまん・・・あ・・・」

 

「まだ無理だね。」 健は右手を引っ込めた・・・。



ログハウス風の家のポーチから出た建は胸ポケットから通信カードを取り出した。
「サファイア、僕だ。」

「お疲れ様です。 ジェニファーの意識レベルの再起動は正常に成功しましたか?」

「うん。 多分もう大丈夫みたいだな・・・だから端末までディセーブル(動作無効化処置)全部解除してくれ。 解除コード16桁はオール1だから。」

 

「船体はどうしますか?」

「アキュムレータが機能しないから姿勢制御と補助エンジンが動かせないなあ。 当分工場から出られないし本体は今のままでいいや。 右舷のエルロンと垂直尾翼も脱落しちゃっているし。 端末だけなら問題なく飛べるし不便は無いんじゃないかな?」

「はい、 ではグレネー2793・・・ジェニファーの強制停止を全解除します・・・端末の武器管制オプションはどうしますか?」

 

「ONで。」

「それでいいのですね?」
「いいよ。 自分の武器を衝動から抑えるのも彼女の復帰準備の一部だよ・・・無理に取り上げられないな。」

「あなたがジェニファーに殺されても?」
「アハハ・・・その時はその時さ。」

「はい。 かなり気にはなりますがあなたが望むなら全機能停止を解除します。」

「ありがとうサファイア、 あと2日位で幼稚園も勤務できるように考えてる。 園児たち皆が心配しているからね。」

「ではジェニファーをよろしくお願いします。 あと255秒後に端末のボディコントロールと火器管制を許可しますからチェックプロセスが完了次第に体は動くでしょう。」

 

「あと、安全のために・・・当分彼女を近くに置きたい・・・いい? それとも公安委員会で保護監察するのかな。」

「いえ・・・今回はハング事故扱いとして処理します。 ただ、当面は船体武器関係の許可はできませんが。」
「じゃあ端末とは一緒に暮らしてもいいかい? 大事に扱うからさ」

「はい、 ジェニファーに婚姻歴や行動履歴では登録された異性交際などは現在確認されていません・・・本人が希望するなら良いでしょう。」

 

「じゃあ好きにしていいね?」

「はい・・・では来週にでも議会が終わった後に一度、工場へ訪問しますから。」
「また連絡するよ。 今日はここまでだね。」

「はい。 では通信完了します。」


彼は作業服の胸ポケットに通信カードを戻してポーチから空を見ていた。
まだ3月の寒い時期だったが台風の完全に去った空は快晴に満ちている。 小鳥のさえずりとともに静けさが広がっていた。


「さて・・・と、 ジェニファーの部品を準備しないと。」

カランカラン。。。
その時ポーチのドアが開く音がして健が振り返るとそこにジェニファーが立っていた。


「端末の停止解除をありがとう・・・もう自殺なんか考えない。 だから李李の面倒を見させて欲しいの・・・一つ聞いていい?」

 

「何だい?」

「ねえ、健。 私の事をもしかして・・・好き?」

「ああ、 でも僕の妻はカレナだけだからもう再婚は考えていない。 あくまでも機械体としての話さ。

子供は李李しか居ないしカレナの置いていった ただ一人の娘だから大切に育てたいんだ。 この子が僕の仕事中に寂しい思いはさせたくない。 その時だけでも遊び相手になって欲しいだけ・・・。」

「ねえ、 じゃあ一日中、私は李李とここで一緒でいいの?」
「ああ、ジェニがいいのならね。 ここは幼稚園の園舎からそう遠くないし勤務に戻ってからでいいけど、君も僕の家に来るかい? 一緒に暮らして貰えれば僕も嬉しいな。」

「ごめんなさい・・・少し考えさせて。 私はまだ・・・タカの事、本当はまだ忘れられないの。」


「僕だってカレナのことは忘れてないしそれでいいんだよ。 僕たちはお互いに大切なパートナーを海難事故で失ったんだ。 気持ちの整理には時間がかかるけど、それまでお互いに励まし合って生活を続けたい。 少し協力してくれる?」

「うん・・・一緒に暮らそう・・・ね。」
「ああ、急がなくていいから・・・でもジェニの料理は早めに食べたいな。 ヤンが君のことを料理上手だって褒めていたよ。」

「私のそれだけを当てにしてる?」
「いや、他にもさ。」 健はジェニファーを優しく抱きとめる。「風の強い夜は寂しいんだ ヤンの話じゃあジェニは暖かいってさ。・・・多分、李李もきっと寂しがっているしね。」

 

「・・・もう、タカのバカあ 口が軽いんだから・・・でも最初は昼間だけ来るね。 夜は帰る・・・カレナに悪いから。」
「君の船体も早く直すから・・・ごめん。 少し壊しちゃったな。 圧力タンクのカバーも海に飛んでっちゃったしまた新しく作るよ。」


「いいの。 私、当分飛ばないし。」


「幼稚園で秋の遠足までにジェニが居ないとみんな困るさ。 全員何処にも遠足に行けないしね。 ジュリアは汎用機体だから園児全員が座るキャビンシートが無いんだ。」

「私、また幼稚園バスに戻れるかかしら・・・。」
「もちろんそうさ。 遠足に君の船体は必用だよ。 ここに君専用の格納庫を準備しよう。 西棟の資材置き場が家から近くていいな。」


リボンを外したジェニファーは下を向いて突然にひざまずく。 健の片手をとって彼の手の甲にキスをした。


「え? 急に・・・何だい? 指きりげんまん?・・・かい」

「スペースファイターインダストリー社 グレネー2793 2276年3月30日 09時19分23秒 管理者変更プロセス実行します・・・起動メモリのモニタレベル オリジン原点メモリーアドレスにおいてデフォルト設定変更を実行します。」


「?・・・ジェニ・・・ジェニファー、 何だ、おい、どうした・・・大丈夫かい?」

「 I carry out a manager change  ken'brown ・・・今からあなたは私の新規オーナーです。 登録情報を更新しました。」


「やったあ!」

 健は彼女を抱きしめる。「管理者データを更新したのかい?」


「はい・・・今後、健ブラウン様 あなたの命令に違反しません。 そして私を管理してください・・・今から命をかけてお二人をお守りします。」

「ハハハ 君の言うことはちょっと信じられないけどね。」

健は笑いながらより強く彼女を抱きしめる。「でもよろしくね。」


お互い時間を忘れるまで抱き合っていたが家の裏から聞こえてきた李李の笑い声で二人は離れた。

「さあ李李、 天気もいいし・・・ちょっとお散歩しようか?・・・なあ、ジェニ。」


「はい・・・うん。」
良かったな李李! 今日からジェニファー先生は李李と一日中一緒だよ!

ジェニファーは李李を抱き上げると庭の上を一周飛んだ。

「李李、入園したら先生と一緒に遊ぼうね!・・・今からにわとりさんにご飯あげようか?」

「はーい・・・先生!」

李李は明るく返事をした。