ジェニファーの損傷事故



9月11日 まだ暑い日々が続く夏の終わり、前日からタカと舞は月面でジェニファーの操縦試験を受けていた。 基本的に関係者には(資格・免許)に代わるものが必要だった。

毎週末に日本時間の夜に月へ移動し、月面から離発着や飛行設定など机上作業から実際の運行実習までの広い範囲でが行われた。

ジェニファーには人工重力や衝撃シールドが強化されているため過酷な宇宙飛行士の身体訓練は不要だったが静止飛行やクレーン操作など普通の宇宙船にはない機能も備えている。
多くの付属機能をタカと舞に慣れるようサファイアから指示もあり、将来的な業務のためにも輸送船の操縦資格は必須だった。

意外にも舞の方が試験成績が良く、そこがタカには大きなストレスになっていてこの日は機嫌が悪かった。


「どの道ジェニファーは自動じゃないか、喋ればやってくれるし・・・なぜ資格とか訓練が必要なんだか判らない。」

「あら、タカだって宇宙飛行士になりたいって言ってたじゃない。 ほら、コース逸脱指示でてるよ。」舞はタカの操縦席の背後から表示装置を見ていた。「よそ見しないの!」

ジェニファーはコクピットには座らず後ろのキャビンのシートで二人の背中を遠くから見ながら採点をしていた。


「タカの下手っぴ。」ジェニファーの笑いは彼のプライドを十分傷つけた。

「ランディングマーカーNo32の位置を見落としたでしょ。」

「うるせーちょっと見えなかったんだ、暗くて・・・宇宙船と言うよりもただの船だね。 コクピットも広々してるし画像クリーン越しの有視界飛行だし。」

ジェニファーの計器類は全て画像上である。 地球人のために特別に調整されたものだった為スクリーン上に示されている
表示に従うだけで操縦が可能だ。

地球の技術ではこんなにシンプルにはならないし飛行しながら自由に回転出来たり後方に飛べたり、小回りが利いて便利な作りになっている。

操作に失敗したときはジェニファーが自動補正してくれたので接触事故など心配は全く無用だった。
しかし緊張のためタカは顔中に汗をかいていた。


「タカ、舞のほうが上手だよ。 操作手順が早すぎだって。 どうしてもうすこし優しく操縦できないの?」

ジェニファーは後部のシートに座ったまま笑っている。「舞のほうが指示通りに扱っているのよ。」

「うるせー・・・ジェニファー、お前は俺の時だけ妨害してねーか? ターンポイントわかりにくい場所ばかり指示しやがって。」

「あのね、下手だからって疑わないでよね! まだ宇宙空間のほうが簡単なのよ。大気中だったら風の影響で姿勢制御エンジンとエルロンの制御、もっと難しいだから。 今度地球でも訓練あるのよ。」

「はいはい。うるさい船だこと。喋らない船がいいなあ。」

「ほら、タカ、ジェニファーのせいにしないの! 言い訳ばかりは男として恥ずかしいよ。」

「舞の方がいい事言うじゃない、ねえ。」
「うるせー、クソッタレ。」


日曜日の昼までに試験と評価を終えて夕方には帰路に着く。 この様な日々が初夏から続いていた。

この日も昼までいつものように訓練メニューを受け、サードとサファイアは地上のセンタービル司令室で画像を見ながら試験結果を評価していた。



「タカ・・・舞、 明朝に提出資料で小惑星落下予測周辺海域の航空撮影予定があります。 今日はこれにて地上にへ帰投してください。 サードは機材の準備に入っていますよ。」

「撮影? 何処向けの?・・・撮影予定は今週無かったと思うけど。」

「来週行くワシントン向けの画像撮影がまだ済んでいません。 周辺海域の衛星高度撮影です。」


「じゃあ早めに出発する。 こっちを13:40に発つから18:00前には戻れるかな。」
「ではお願いします。」


いつもより早めに帰路に着いたが月面を出発して3時間20分後、大気圏再突入間際に思わぬ事故が起ころうとしていた。
舞はジェニファーとおしゃべりに夢中でタカは航行正面画像を見ている状態のとき、ジェニファーが急に座席を立ち上がる。

「二人とも何かに掴まって!早く!」

「え? 何か言った? わあ、揺らすなよ! 危ないっ!!」

「ダメ!よけられない。」ジェニファーは最大制御でコースを変えようとしたときだった。「もうだめ!」

と大声を出したその瞬間である。 舞は座席から立っていたのが不運だった。

船内に強い衝撃と音があり舞は壁に叩きつけられる。 同時に船内の照明もコクピットの画像も全て消えた。


人工重力が弱まり、タカは体重が軽くなるのが分かった。

どの位時間が経過したのかはっきりしなかった。

「大丈夫?」 タカの顔を覗き込んだのはジェニファーだった。

「舞の意識が無いの。 頭を強く打ったみたい。 呼吸と脳波は正常だけど。」


「損傷ナントカしているから多分大丈夫なんじゃないかな。」

「私、動けない・・・。」


「普通に歩いているじゃないか。」

「この体 端末じゃなくて本体の方が。 動力も止まって今は非常電源で動いているの。 あと5時間ちょっとは大丈夫だけど。」


「ジェニファー! 何があったか連絡しなさい。 通信用搬送波が途絶えたので非常回線で通信しています。 応答しなさい。」
サファイアの声は聞こえるが画像は出ない。 音声だけによる特別な通信は出来ているみたいだった。

「サファイア、 何が起こったのか分からない。 ジェニファーの機能が端末以外は動かないって。」

「ごめんなさい・・・小さな隕石か宇宙ゴミにに接触したみたい。 避けようとしたけど間に合わなかった。」

ジェニファーは小さく言った。

 


「サファイア、 どうしたら良い? 今の位置も分からない。」

「サードです。 こちらからは位置が分かりますが予定進路はかなりずれました。 機体識別番号データが同時に消えたので多分ですが主電力のダウンでしょう。」


「状況が全く分からない、非常灯だけじゃ暗いし。 観測機器関係が全て動かない・・・人工重力も弱まったし。」

「サードです。 遭難信号は出ていますが通信は非常回線のこれだけです。」

「サファイアです。 被害状況を船外からジェニファーに確認させなさい。」

「分かった、でも端末しか動作しないって言ってる。」

「サードです。 エアロックは手動でも開閉できますからジェニファーを外に出して早く船外の損傷状態を撮影してください。 静止画なら非常通信でも送れる筈です。」


ジェニファーは与圧が不要なためそのまま真空中に出る事が出来る。

彼女は船上に上がると自分の損傷に愕然とする。 後方動力カバーの一部が脱落していたからである。つまり「背骨の一部」が無くなっていて応急修理が出来る状態では無く明らかに自力航行は不可能だった。


「サードです。 静止画像がジェニファーから送られてきました・・・状態は深刻ですね。 与圧キャビンは無事ですがセンターシャフトの一部が装甲板ごと無くなっています。」
 

「航行が継続できないのなら救助してくれよ。 舞が衝撃で頭を打った。 出血は無いけど意識が戻らないんだ。」

「サファイアです。 私の本船がそちらに到着するまで258時間以上かかります。 木星軌道上に駐留しているガウストに救助要請をしましたが高速救助艇でも到着まで9時間以上掛かります。」

「待つよ、そのくらい大した事無いし。」

「サードです。 タカ、のんびりしていられません。 そのまま降下軌道に入っています。 このままですとあと92分以内に大気圏突入になります。」

「何!・・・ジェニファーは再突入に耐えられないのか?」

「セラミック装甲版が一部脱落していますし動力が無いので少し耐えても途中で空中分解するか地上にそのまま激突します。」

「サファイアです。 ジェニファーのキャビン上部に脱出用ポッドが有ります。 早く脱出しなさい。」

「脱出って言ったって・・・逃げろって? ジェニファーはどうなる?」

「ジェニファーの救出は不可能です。 今はそれしか判断できません。」
サファイアの冷酷な言葉なタカの心に突き刺さる。


「早く、こっちよ。」 ジェニファーはタカをの手を引きポッドの場所まで導く。

タカは舞を背負って移動をするが人工重力が最低状態だったため運ぶのは楽だった。

ジェニファーの脱出用ポッドは3人乗りが4基有ったが、目標のサファイアまで距離があるため一人に1つ使う事になる。

「タカ、準備するよ。」 手動で扉を開くとポッド内部の照明がついた。

「まず舞を乗せよう。」


「自動でサファイア本船まで届くようにセットしたから意識が無くても大丈夫。」

「サファイアの本船に誰かいるのか?」

「サファイアが居るよ。」


「今、サファイアは地球に居るだろう?」

「本船側に複数ボディが有るから自由にトランスフォーム出来る。 地球のサファイアと顔は違うけど。」


「そうだったな。」


舞をベルトで固定し、タカは舞に口付けをする。「がんばって絶対に届けよ!」

ポッドの扉を閉め、ジェニファーがリリースレバーを倒すと大きな音がしてタマゴ型のポッドは飛び出した。


「さあ、次はタカの番。 早く! 乗って!」


「お前は?」

「私は無理。 さようならタカ・・・短い期間だったけど楽しかったよ。」

彼女は下を向いて少し笑う。「二人共・・・元気でね。」

「バカ、何言ってる! お前も脱出しろよ。」タカはジェニファーの両肩を持って揺すった。

「お前だけここに置いけいけるかよ。」

「この私はただの端末のロボットだから運命は船と一緒だよ。」

「サファイアもサードもそうだけど君がポッドに乗ってもただの人形だったんだな。 それなら俺も脱出は嫌だ。 お前とここに残る。」

「ねえ、私を困らせないで。 早く乗ってよ!」


「出来ない、断る。 何とか船体を修理しよう。」


「サファイア、俺は残るぞ。 ジェニファーだけをここに置いて行けるか!」


「早く脱出しなさい。 ジェニファーはもう助かりません。 動力と船自体のシャフトもかなり損傷していますから見切りを付けなさい。」

「見切りだあ?・・・んなこと出来るか!バカ!」


「サードです。 先ほどジェニファーには自爆許可が出ています。」

「ナニー! 自爆だあ! 誰がそんな事した。」


「サファイアがジェニファーに自爆のを許可を出しました。」


「ジェニファー本当か!」 彼は振り返る。

「うん。 さっき自爆リクエストの許可を受けたの。 でも制御系が動かないからそれもできないけど。」


「サファイア!お前がそんな女だとは知らなかった。 見損なったぞ!鬼!悪魔!この人でなし!」

<ジェニファー、 タカの背後から麻酔処理しなさい・・・気を失ったらポッドに乗せなさい。>


「おい、サファイア。 日本語で喋れ!卑怯だぞ。 今ジェニファーに何を指示したんだ!」

<はい、今からタカを眠らせます。>

ジェニファーはタカの後ろに回ったがタカはすぐに振り返る。

「俺に麻酔するんか! サファイアが今、命令したんだな?」

ジェニファーの手には小さなミラーが出ている。

「麻酔なんかするなら一思いに殺せ! こんなの嫌だ。」

 タカはジェニファーの両腕を押さえ込む。


「・・・ごめんなさい。」ジェニファーはタカを狙っても撃つことは出来なかった。


<だめです、タカの顔を見たら私には撃てません・・・申し訳ありません。>


<・・・仕方ないですね。 狙撃を中止しなさい。>

「おい!サファイア、聞こえてるんだろ? 卑怯者!俺たちはお前のただの道具か? 無理にポッドに乗せたら二度と協力してやらないからな!」

「サードです、 サファイアに罪はありません。 自爆許可は連邦軍規則の正しい措置です。」


「突入までまだ多少は時間が有るんだろ!」

「あと73分です。 しかし対処に十分な時間とは思えません。」

「早く脱出しなさい。 タカ、ジェニファーの代替は連邦が新しい機体を準備します。」

サファイアは緊張して強く言った。「タカ、私から強く命令します。 絶対に指示に従いなさい!」

「フン、嫌だね。 壊れたジェニファーにはもう用無しか! 壊れたらもう仲間じゃないのか? 何の努力もしないで仲間を平気で見捨てるのか? お前らってそんな関係なのか!」

「タカを失うとプロジェクトに影響が出ます。 あなたには何としても戻って欲しいのです。」

「サファイア! 冷たい鉄の女とはお前の事だ。 もう二度と口なんか利いてやらん。 黙れ!死神となんかもう絶交だ!この裏切り者! お前なんか早く廃船になっちまえ、このクソババー!」


「サードです。」


「何だ!」

「タカ、言い過ぎです。 先ほどサファイアは2.3秒停止しました。」


「だから何だよ!」

「サファイアが機能障害を起こしました。 タカの暴言が原因です。 怒りのお気持ちは分かりますが言葉が酷すぎます。」


「うるせー、黙って聞いてられるか! サファイアなんかに絶対謝りたくないね。 悪魔に伝えておいてくれ、もう顔も見たくないって」

「ではこうしましょう。 最終プランが3つ有ります。」


「早く教えてくれ。」

「成功確率の高い順から。 まず、ジェニファーのメモリーカートリッジを外せばジェニファーは後日に復元できます。 カートリッジを持ってポッドで脱出してください。」

「ちょっと待て! それって記憶だけしか脱出できないんじゃないか。 なら後から復元するのはジェニファーのコピー品か!」

「そうと言えなくもありませんが考え方次第です。」

「ダメだ、出来れば船ごと助けたいが無理ならジェニファーのコンピューターユニットを全て外して持ち帰りたい。」

「無理です。 ジェニファーは短時間で船内から簡単に取り外せません。 ジェニファーの人格部分は船の一部です。 簡単に外すことが出来るのはメモリーのデータバックアップカートリッジだけです。

記憶データがあればジェニファーは後日に完全な復元が出来ます。 人工知能船舶は万一の事故に備えてそういう構造になっています。」

「復元だって?・・・嫌だ。 本物のジェニファーじゃなくちゃだめだ。 コピー品は絶対に認めないぞ。」


「タカは間違っています。 人工知能は記憶を移植すれば何度でも復元出来ます。 そのための人工知能なのですよ・・・今のジェニファーも工場生産時にメーカーでベースからコピーされたものです。」

「そういう問題じゃない。 俺はこの毎日一緒だったジェニファーがいいんだ。」

「ですから、100% 全く同じジェニファーが復元出来ます・・・って・・・困りましたね・・・時間の無駄なのでこの議論はやめましょう。 とにかく脱出が嫌なのですね。」


「そうだ、何とかして落下を止めたい。」


ジェニファーはタカの前で首を横に振る。

「お願い、今ならタカだけでも助かる。 私のメモリーを持って行けば、きっとまた私に遭える・・・端末、私のこの体だって同じのをまた買えるから。」

彼女はコンソールの横に向い、小さな箱を取り外した。
「これ・・・30分前までの私の記憶の全てなの。 これ持って早く脱出して。」

「お前・・・こんな小さな箱に入ってるんか?・・・でも復元したってこのお前はどうなるんだよ。」

「別な船にこのカートリッジを入れれば事故前の記憶からスタートできるよ。 また新しい私とやり直せるの。」

「フン!お前のコピーじゃ嫌だ。・・・何としても今のお前を助けたい。 俺には仲間の置き去りなんて出来ないね。 これ、早く元にこれ戻しておけ。」


「タカのバカァ・・・手遅れになったら取り返しがつかないの! お願いだからこれ持って早く逃げて!・・・作り物の私は何度も復元できるけど生命体のタカは死んじゃったらそれで終わりなのよ!」

「だめだ、 お前をここに置き去りにして逃げたら俺は一生後悔する。 そんな悲しい人生送りたくないね。 自分だけ助かれるか!」

タカはジェニファーの両肩を持って怒鳴った。

「いいか!時間はまだあるから助かる方法を考えるんだ。」


「では2つ目のプランです。 現在、電力がダウンしてジェニファーの下にある固体燃料離脱エンジンに点火出来ない状態です。」


「あの船体の下にある板チョコみたいなやつか!」

「そうです。 墜落時や過剰積載時の非常事態で一時的に加速上昇させる緊急離脱用固体燃料ロケットモーターです。 幸いに対地上姿勢は曲がっていませんから点火出来れば落下軌道から上昇します。」


「点火用の電力が無い。 真空中じゃマッチは使えないしどうやって点火するんだ。」

「残りの脱出用ポッド装置の電池です。 でも失敗した場合タカも脱出用ポッドの機能を全て失います。」

「それ行こう! グッドアイデアだ。」


「非常目的で脱出装置を捨てる場合は多数決が軍の基本ルールです。」

「俺は賛成だ!」


「残念ですがタカ以外は全員反対です。」

「クソ、石頭の集団だな。 最初から反対なら提案するなよ、時間の無駄じゃないか。」

「ジェニファーの端末の体内電池を取り出しても点火は可能ですが・・・タカは嫌でしょうね。 彼女の上半身を切断すれば端末の電源ユニットを取り出せます。 カーゴにハンディ光学ランチャーが有りますから。」


「アホか!・・・俺に人の姿をしたジェニファーをここで解体するなんて出来るかよ! 実現できない提案ばかりしやがって!」

「仕方がありません・・・最後のプランです。 床下の制御コンソールの一部に非常電源増設端子があります。 今船体を動作させている予備電源の一部です。
それをコンソール内部にある離脱用点火装置に直結してジェニファーが点火命令を出せば点火出来ます。 でも失敗すると予備動力全てが機能停止するのでかなり難易度は高いです。 高度な技術も要しますし高電圧なのでショートすると予備電源が爆発するかタカは感電で黒焦げになりますよ。」

「それいいね、急ごう。 少し怖いけど一番マシな作戦だな。」

「一つ大きな問題が・・・申し上げにくいのですが」


「早く言えよ、もう時間が無いんだ!」

「失礼ですが、私達の装置をタカに改造が出来るかどうか・・・。」


「こう言う事だな? 原始人にコンピューターを修理させるようなものだと、 遠慮せずにはっきり言え。」

「不適切な発言ですが的確な表現です。」


「大きなお世話だ、 もうこのプランしかないならやろう。」

「現在ジェニファーの構造マニュアルをジェニファーのメーカーから受信中です。 必要な情報を緊急用モニターに出しますのでお待ち下さい。」


「そうか、君の端末とジェニファーは同じ会社の製品だったな。」

「こんなところでお役に立てるとは思いませんでした。 配線パネルの外し方から説明します。 警告表示はジェニファーに翻訳してもらってください。」


「分かった。 今度少しでも連邦の標準語とか文字とか教えて欲しいね。 君達の内緒話も知りたいからな!」

「はい・・・喜んで。 でもその前に生きて戻って来てください。 絶対ですよ。」


「ああ、朝にはジェニファーと絶対戻る。 あと、それから。」

「何でしょう?」


「サファイアに・・・。 いいや、後で。」



壁と床から制御ユニットが何枚か取り出され、予備配線材料はキャビンの調理機器や空調機のものが使われた。

「だいぶ寒いな。」


「予備電源じゃ暖房が使えないの。 寒い?」

 ジェニファーはタカの背中を包む。彼女の体は暖かかった。


「お前、暖かいんだな・・・絶対助ける。 だから安心しろよ。」
「うん・・・でも・・・ごめんなさい。 私の失敗でこんな事になって。」

「失敗なんか誰だっていつでも有るさ。 俺なんかしょっちゅうだし、操縦も下手だし さっきは怒鳴って済まなかったな。」


「おい、サード。 時間はあとどのくらいだ?」
「残り時間は22分を切りました。」

「もうちょっとあると助かるんだけどな。」

「タカ、点火前にエンジンカバーを外さないと。 カバーのリリースコマンドを発行してください。」


「配線はこれでいい筈だけどジェニファー、リリースを起動してみてくれ。」

「はい。 緊急離脱エンジンカバーをリリースします。」


床から小さな衝撃が起こり、何かが船から外れる音がした。


「サード、うまく行ったみたいだ。 思ったより簡単じゃないか。」


「本当にカバーが完全に外れましたか? 不完全だとと点火で爆発します。」

「確認している時間がない。」


「それではスキップします。 今度は点火命令を発行して下さい。」

「それでは点火命令発行します。」

ジェニファーは目を瞑る。 しかし点火の衝撃は来なかった。


「あれ・・・点火しないぞ。」


「配線ミスでは?・・・確認をお願いします。 ジェニファーに何度か続けるように言ってください。」

「配線に間違いはないぞ。 もう一回。」


「だめ、点火しない。 だって点火確認信号が来ない。」

ジェニファーはしゃがんだまま目を瞑っていた。


「タカ、エンジンデバイスコードが合っているかジェニファーに確認させてください。」


「何だそれ? 今、はじめて聞いたぞ。」

「非常点火システムは安全のため正しいデバイスコードを送らないと点火信号を認識しません。 マニュアルにはそう出ています。」


「サード、コード番号は分かるのか?」

「いいえ。 機体ごとに番号が異なります。 ジェニファーの製造番号からは調べられませんでした。 メーカーに確認するためには時間がかかります。」


「ジェニファー、 お前のコード番号は知ってるか?」

「判らないの。 普通の配線ならリクエストするとデバイスコードが向こうから来るんだけど応急配線だから・・・。」


「自分のコード番号を知らないのか?」

「だってこの装置使うの初めてなの。 非常装備の臨時配線だし。」


「それじゃ片っ端からコードを送ったら?」

「組み合わせが8192有るの。 16桁を1秒間に8コードまでしか送れないから全部送ると17分かかるよ。」


「時間が掛かるな、 0から始めたら手遅れになるかも・・・同じ番号を二度と使わない条件でランダム発生した方が早いかもしれない。 偶然の可能性にかけよう!」

「やってみる。」

ジェニファーは集中して点火作業を続ける。


「サード、 かなり落ちてきているか?」

「はい。 正しくは船外では既に衝撃波が発生しています。 あと7分以内に船外外壁温度が120℃を超えるでしょう。 装甲版が無いので気流の乱れが発生して空中分解へ移行する可能性が強いです。」

「寒い後は蒸し焼きと分解か。」

「多少降下が進んでもカーゴに貨物が無いので十分に上昇は出来そうです。 問題は装甲が剥がれている部分が・・・」
その時強い衝撃で加速が始まった。 人工重力がかなり弱い状態だったのか加速でタカは床に貼りつく。


「やったぞ! 点火したらしい。 ものすごい衝撃と加速だ!」

「タカ、おめでとう御座います。 上昇をこちらでも確認しました。」


「で、 どの位続くんだ?」

「燃焼持続時間は点火後約16分です。 衛星軌道から遠く離れます。 固体燃料は途中で消火出来ませんから燃料が全て燃え尽きるまでエンジンは加速を続けます。」

ジェニファーは床に張り付いたままタカと手をつないで喜んだ。
「ありがとう。 これでタカは助かるのね・・・それが一番嬉しいの。」

 猛烈な振動と加速が二人を包んでいた。


十数分後に燃焼の衝撃音は消え、固体燃料が燃え尽きるのを知る。 静寂が再び訪れた。


「サードです。 一難去りましたが。」


「今度は何だよ!」

「地球衛星周回軌道から外れて行きますが今度は低温が問題です。」


「寒いのには強いから大丈夫だ。」

「ガウストの救助ボートの到着は7時間以上先です。」


「だから待つって。 もう落ちる心配は無いんだろ? 酸素も予備電力も十分にあるし。」

「あと3時間以内に船内の温度が-40℃以下に下がります。 この状態ではタカは低体温症で死亡します。」


「うえ、さむそー・・・宇宙服は使えないのか?」

「船内動力が無いので予備動力では宇宙服に保温電力の送電が出来ません。 ジェニファーの反陽子炉の送電線はセンターシャフトで切断されているのです。」


「どこかに毛布とか有ったな?」

「いいですか? あと110分程度で船内の予備電源が切れます。 でも、ジェニファーの体内電池があと5時間以上は持ちます。」


「だからどうしろと?」

「後部の居住室にベッドと保温寝具があります。 ジェニファーの電池が切れるまで暖めてもらってください。 救助まで体力を維持出来ると思います。」

「え・・・ジェニファーと暖め合うのかよ?」


「船内の予備電源が切れますとジェニファーは会話や意識は機能しなくなりますが端末暖房を体内電池で維持するように指示を与えました。 私となら嫌でしょうけど女性の端末だったら良いでしょう。 救助までそれで耐えてください。 7時間42分後には救助チームが到着します。」


ジェニファーはタカと顔を見合わせる。

「俺は断るぞ。 必要はないからな。 寒さなんて我慢できる。」

「私で良ければ暖めるよ。 今度は私がタカを守る番だし、でも途中からおしゃべり出来なくなるけど。」

ジェニファーはタカの手を引いて居住室に向かう。


「おい・・・まだ大丈夫だって!」


二人は居住室のベッドの中で並んで毛布に包まれていた。

 非常回線は節電のため中断し、地上とは交信が着かなくなっていた。


「舞はどうなったかな。」


「最後にサードから到着確認が来ているの。 途中で非常回線が切れたからその後は確認が出来ないわね。 でも本船内でサファイアが健康状態をチェックするって言ってた。」

「良かった、サファイアって便利だね。 何人にも分身できるんだ。」


「スペック上は標準端末なら1600体以上は同時操作できるらしいの。 本船内ではメイン リアクター反陽子炉とか保守管理をサファイアが自分一人でやっているから。」

 

「お前もいっぱい端末を動かせるのか?」

「え・・・私は無理。 私の船はシングルトランスフォームだから端末は一個までね。


「でも暇だなー。 腹減ったし。」

「戻れたら食事作るね・・・ねえ、舞とどうやって知り合ったの?出会いのお話聞きたいな。 ロマンチックっていいね。」

「昼飯が無かった時に舞が弁当を分けてくれたんだ。 それから付き合ってる。 その日は寮母のおばさんが朝寝坊して弁当の予約が全部キャンセルになったんだ。」

「ええ?・・・お昼ごはんがきっかけなの?・・・そんなことで好きな相手が決まるんだ。」 ジェニファーは笑う。

「地球人っておかしいのね。」


「笑うなよ・・・舞はクラブの後輩。 今は付き合ってくれてるけど俺は言葉が乱暴だからそのうち嫌われるかも。 舞にはもっといい彼氏が出来た方が幸せかな。 俺、自信ないし日本語が上手じゃないし。」

「そうかしら? タカは日本語上手だよ。 舞もタカのこと好きみたいだし別れそうには見えないないな。」

「今はね。・・・でも未来は判らない。 お互いに絶対的な所有物じゃないし最後まで自由だし。 時間が決めることかな。」


「二人ともいい感じにはみえるのに・・・でも民間人のペアリングを近くで見たのは初めて。 今までは政府機関の女性しか見てなかったから。」

「ペアリング? 良い意味に聞こえないよ、 動物繁殖に使う言葉じゃないか・・・それに俺達、まだガキに近いってよく言われる。 舞とは結婚とか未来も考えてない。」


「人間って見ていて面白いね。」 ジェニファーは笑う。

 何でもよく忘れるし、毎回違った事言うし・・・タカなんか言っていることとやっていることが違うし。」

「動かないでね。」 ジェニファーはベッドの中でタカの上になるとお互いの額をつける。

「嘘言ってないよね。 ちょっと心を読むよ。」


タカは驚いて目を広げた。「お前、何するんだよ! 顔が近いっ びっくりするじゃないか。」

「ホントだ・・・嘘じゃないね。 私、タカの心が分析できるの。 へえ、意外と正直なのね・・・タカって言葉は乱暴だけど心は純粋なのね。 舞はそんなところが好きなのかな。」


「俺、単純だし・・・お前はロボットでも恋人とか居ないんか?」

「うん、今は居ないよ。 以前には憧れていた人は居たんだけど若くして戦死しちゃったの。 連邦軍の輸送船訓練士だったけどね。 頭を撃たれたから再生出来なかったのよ。」

「人工知能って恋愛とかあるのか?」


「設定すればそういう行動に出るプログラムはあるけど今は起動していない。 管理者固定とかオーナー更新とか言うプログラムね。 オーナー登録したら その人を大切に考える価値を認めるから、それって恋愛に近い関係になれるかも知れないよ。」

「へえ・・・お前はロボットでも機能的に恋愛できるんだ。」


「うん、体もね・・・私はそういう構造だから。 サファイアは彼氏や旦那さんいっぱい居たみたいだけど。」


「ええ!・・・本当かよ?・・・あの性格で。」


「酷いよその言い方。 サードだって奥さんや子供いっぱい居たって。」

「ウソオ!」 タカは驚いてジェニファーを見る。「ほんまかいなってヤツ。」

「私は今独身なの。 どお?・・・舞がタカと別れたら結婚してあげてもいいよ。」


「誰がお前なんか!・・・馬鹿にするなよ。 性格の悪いロボットの癖に!」

「冗談よ、タカって弱そうだもん。 それに銃も撃てない男って嫌い。」


「俺は銃が嫌いなんだ。 弱い男で悪かったな!」


「サファイアが君の記憶を持ち出せって言った。 メモリーバックアップってお前そのものなのか?」


「判らない。 でも、大量にコピーすれば私をいっぱい増やすこともできるし。」

「お前の記憶ってたくさんコピーも出来るんだ。」

「うん、そう。 だから事故や破壊されて体が無くなった後でも同じものが作れる。 経験や学習情報をほかの”人”にも分けられる・・・記憶も。 だから何度もやり直しが出来るの。 そうやって人工知能は進歩してきたから。」

「人間はそうは行かないな。 経験を積んでも死んだら終わりだ。」


「脳って記憶が取り出せないのね。 情報を分けてももらえないし。」

「その前に死んだらすぐに腐るよ。」


「死んだらせっかく積んだ経験や学習内容も全部消えちゃうのってもったいないね。」

「そう、生まれて、 勉強して、 死んでゆく。 そしてまた生まれて・・・その繰り返し。 生と死の繰り返しに学習経験が繰り返される。」


「とっても効率悪いのね。 毎回初期化されるんだ・・・人工知能はデータをコピー出来るから自分の経験はみんなのもの。」

「お前はコピーしたのも同じお前なのかな。」


「コピーした所までは全く同じ。 でも再現された私はそれぞれ別の記憶を追加して行くから別な物になって行く。」


「チクショー、サファイアの奴。 何が自爆許可だ! 助かるチャンスってあるのに。」


「タカはサファイアの事を誤解してるよ。」

「だって、お前を自爆させようとしたんだ。 これは許せない暴力だよ。」


「ひどいのはタカの方よ。」

「どうして? サファイアはお前を消そうとしたんだ。」


「違う。 私に自爆の許可をくれたのよ。 誰も乗っていなかったら自分でしてた。」

「サードが軍の規則だって言ってた。」


「そう、宇宙船の全てに与えたれた義務でもあるし、権利でもあるの。」

「わかんねーな。 何で”自爆”が”権利”なんだよ?」


「やさしさ。 日本語で言う”慈悲”とかそう考える説もあるの。」

「お前、難しい日本語を知ってるな。 俺には意味がますます分からない。」


「宇宙船が制御出来なくて落下するとき、もう望みなんて無いもの。 船内に機密や病原体とか有ったら困るし。 サファイアはそれを知ってて許可をくれたの。 なのにタカったら、ひどいこと言うからびっくりしちゃった。」

「サファイアが少し固まったって。」


「当然じゃない。 私、同じこと言われたら立ち直れない。」

「サファイアの思考速度って人間の150万倍以上あるらしい。 だから2,3秒止まったってすごい事なのかな。」


「そうよ、人間だったら寝込んじゃうくらい。」

「それも変だよ。 気にしなきゃいいだろう?」


「ちがう、 サファイアは士官として派遣されてるのよ。 協力者とうまく仕事をするようにプログラムされてるからあんな剣幕で怒鳴られたらびっくりするじゃない。 きっとものすごいショックだったはずよ。」

「少し言い過ぎたかな・・・帰ったら謝ろうか・・・クソババーって言っちゃった。」


「絶対謝ってあげて、かわいそうよ。 システムが5Eクラスだもん。 ものすごく神経質なんだから・・・私は4Aクラスだけど。」

「ふーん。 人工知能って弱いところ有るんだ。」


「そう、人間なんていい加減だから”気にしない”で終わるかもしれないけど、プログラムって否定されたとき困っちゃう。」

「そんなもんかな。」


「寒いね。」
「船内は-33℃を下回ったよ。もう少し体温上げようか?38℃まで上げてみる。」

「いや、少しは節電して欲しいな。」


「体内電池はまだ残ってるけど本体の非常電源はもうすぐ切れるから。」

「そうしたら寂しいな、お前と話せなくなるんだ。」


「電池が切れたら私をベッドから出してね。 今度はタカが冷えるから。 あと3時間以上は持ちそうだけど」

「お前が直ったら・・・背骨の修理が終わったらまた一緒に働けるから頑張ろうよ。」

「多分・・・出来ないよ・・・。」 ジェニファーは横を向いて小さく言った。「もう・・・多分・・・皆とお別れになる。」


「どうして? 船なんだから何回でも直せばいいじゃないか。」


「無理・・・だと・・・おもう・・・の・・・修理だって・・・安くないよ・・・ 非常バッテリー ロウ・・・電力低下のため・・・システム・・・停止します・・・。」


ジェニファーは悲しい表情を見せると目を開いたまま停止した。 船内の予備電源が切れてジェニファー本体のコンピューター側が停止したからだった。

タカはジェニファーを強く抱き、そのまま彼女の顔をいつまでも見つめていた。