この土日は久しぶりにみっちり家族3人と過ごすことができていろいいろ感じたことがある
一つあげるとすると、トイザらスのキッズルームでオムツ替えをやっている、もしくはミルクをあげているパパに普通に遭遇した
厚生省がイクメンプロジェクトを実施し、家事、育児に参加する男性を推進している取り組みがあるのを過去にも紹介した
日本の企業全体で男性の育休を推進しているが、取得率6%(北欧では80%以上)で
そのうちの56.9%の男性が5日未満の育休であり大半が「名ばかり育休」ということだった。
ちなみに以下が育休中の旦那の家事・育児の割合
8時間以上 …20.1%
5時間~8時間以下…11.6%
3時間~5時間以下…20.9%
2時間~3時間以下…15.2%
1時間~2時間以下…14.6%
1時間以下 …17.7%
※「ママリ」インターネット調査
実に5割弱の男性が家事・育児を3時間以下しかやっていないという結果だ
一部の調査なので実際の数字が見えにくいところもあるが、この5割弱の内訳を想像するに、
育児にかける時間が大半を占めており、家事にかける時間は極めて少ないと考えられる
果たして、育休中に育児はするが、家事をしないという男性は「家庭的」であり、妻の手助けになっているのか
もちろん答えは「ノー」だ
普段の生活の中で考えてみるが、いかに外で我が子の相手をしようとも、家でしなければ育児に参加しているとは言えないし、仮に家でも外でも我が子の相手をしようとも、一切家事に参加しないのは、「家庭的」ではなく、助けになっていないのだ
もちろん何もしないよりは、育児だけでも参加してくれた間違いなく助かる。
しかし、育児だけではなく、家事まで参加しなければ「妻を助けている」とは言えない
特に寒い季節は人を動かそうとする気持ちを削ぐことに効果的な季節であり、老若男女問わずめんどくさいのが家事の特徴だ
もし、できるのであればご飯は作って、その後の洗い物はしてほしいし、洗濯して干して畳んでタンスへしまっていてほしいし、トイレ、エアコン、床拭き掃除、全てアウトソーシングできるのであればお願いしたい
しかし現実問題99.9%の家庭でそんなことできるはずがない
大きく育児と違うのは、家事は人の感情を忘れさせる完全なる作業なのだ
休日に子どもと外に出て公園や、おもちゃ屋さんへ行って遊ぶのは疲れるがそこには確実に感情が生まれている
ついこの間までハイハイしかできなかった子が歩いて、走っている姿をみれたり、我が子の成長の瞬間に立ち会えるというのはとても感動的だし、疲れ以上の感情を超えてくる瞬間に多くの人が出会っいるはずだ
子どもの成長は楽しいや幸せといった感情を生み、思い出を残すことができる
しかし家事という作業は疲れ以上の感情を超えてくることはなく、最後に感じるのは疲労感という塊だ
たまに掃除をしていて、「しつこい染みた汚れが取れた」、とか「上手に作れた料理が美味しいと言われた」みたいな飲食店を退店するときにもらえるようなアメ🍭のような見返りはたまーにあるが、所詮、それ以上なにもない作業だ。
その作業だけで、明日も、明後日、1年後、何十年と・・・
ずっと続けられる人は極めて少ないだろう。
育児は我が子に求めらたことに対して答えてあげられるのだが、家事は求めるとか求めないとかではなく
やって当たりまえであり、知らないうちに強制されているのである
家事なんてほとんどの人がやりたくないし、育児と家事どっちを選ぶと言われたら
大抵の人が「育児」を選ぶだろう
育休率を高めることが大事なのではなく、普段から家事に参加してくれることの方がよっぽどママは喜んでくれる
このまま、国や企業が作り上げる育児休暇率、育児参加率を追うよりも家事参加率を追うことで
本当の意味でのイクメンに近づけるのではないだろうか