前々のブログでは、あるスポーツを体験したい子ども、また親たちがやってほしいスポーツが流行中という内容でした。
前のブログでは、子どもたちがスポーツをやるうえで是非「伝えてほしい歴史」を紹介しました。
少しだけ振り返りますが、スポーツ発祥は英国の学校で、文学等の授業に加え、スポーツを通じて社会性を教育することを目的に取り入れるようなりました。
しかし、日本でのスポーツの歴史は、発展する他国に負けないために、軍隊を早急に育成するためのものとなりました。
「規律を守り、体を鍛える」ための目的であり、スポーツはいつの間にか、「体育」として変換されました。
体育は実力主義をよしとする、「勝利至上主義」を助長するようになりました。
そして現代、日本スポーツ業界で特に取り上げられることが多くなった、暴力やパワハラも続いています。
日本の体育教育では勝利至上主義が蔓延し、本来スポーツによ って養われるはずの社会性が教育されないばかりではなく、いじめの温床にまでなってしまっているのが日本の現状です
昔、運動会や地域のスポーツ大会で試合前に開会式で行われるなかで「宣誓」を聞いたことがある人も多いと思います
ぐるぞーが小学生だった頃によく聞いていた宣誓はこんな感じでした
「宣誓、我々選手一同はスポーツマンシップに則り、日頃の練習の成果を存分に発揮し、正々堂々勝負することを誓います」
決まったセリフはないけど、だいたいこんなんで、表現も遠くない感じじゃないでしょうか
今回はこのフレーズの中にある「スポーツマンシップ」という言葉に着目します。
日本ではスポーツマンシップが欠如してしまっているために勝利至上主義を助長し てしまっているという問題があります。
スポーツ指導者や、これから教わることになるであろう子どもたちに伝えてほしい、また教育されるべき「スポーツマンシップ」をお伝えします
皆が持つべきスポーツマンシップとは
「スポーツマンシップ」という言葉の中核は、リスペクト(尊重)です。
そして、スポーツが成立するうえ大切しなければならず、欠かすことのできないリスペクトがあります。
それは①対戦相手②ルール③審判 の3つです。
ゲームは「ルール」に従って、「相手」と戦い、「審判」がルールに基づいて勝ち負けを判定します
①対戦相手:素晴らしい対戦相手がいなかれば、素晴らしい勝利を得ることはできません。
②ルール:競技の本質を表すものであり、勝利の意味が持つのは、そのルールによって規定されるからです。
③審判:ゲーム進行のためのルールを実行するだけではなく、その競技の伝統や慣習といった「ルールには明記されていない事柄」の実行者です。
この3つをリスペクトすることによって、その競技の価値を高め、認めることになります
その価値を理解し認めないのであれば、スポーツではなくなりスポーツの意味がなくなってしまいます
私たち皆さんは、小さいころから両親や先生から教育を受けてきたと思います。
現代で起きている様々な問題の大半は人にまつわることだと思います。
人、組織、制度、スポーツを本質的に理解すること、存在意義を認めることは、それらの問題をスポーツで解決する一つの方法だと思っています。
ぐるぞーが小さいときからやっていた野球は特に「ヤジ」がひどい競技の一つでした
それはアマチュアだけでなく、プロ野球の世界でも続いていると思います。(特に観客側)
応援席から飛ばしているヤジや汚い言葉が飛び交っているのを聞いて、子どもたちはそのスポーツを楽しんだり、やりたいな~と思えますか
競技する人たちだけでなく、それを応援するファンも学び、教育していかなければなりません
スポーツに関わる人すべてが「スポーツマンシップ」の心をもち「リスペクト(尊重)」を持ち続けなければなりません
今こそ、スポーツ本来の価値を見直し、スポーツマンシップを理解し実践することで、より良い社会づくりに貢献いけるのではないでしょうか
そして熱狂的な盛り上がりを見せた、ラグビーアイデンティティーは、これからの社会の理想ではないでしょうか