合格らせん です

あの大震災から5年経ちました
もう5年
まだ5年
人それぞれ感じ方はちがうけど
風化させないで伝え継ぐことが
大切なのだと思います

深く傷ついた人たちを見て 牙を剥いた自然を見て
自分の無力さを感じました


もう一度追体験して
自分の中に深く刻むことを目的に
あの日わたしが立っていた場所を
訪れてきました







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@藤沢市



あの日も今日と同じにとても寒い日でした
江ノ島の大橋を渡って
すばな通りに入る前

地下道に入るすぐそばにある階段です

鎌倉に戻ったら白玉を食べよう

そんな楽しい計画を立ててたから
階段を振り返ることなく
ウキウキと歩いていたのです






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@藤沢市



2時46分
大地がほんの少し揺れ始めたのを
最初に察知したのは
駐車場右側にあるマンションの工事現場の
作業員さんでした

おい 地震じゃないか

響いていた工事の音がピタリと止んで
重機たちが耳をすませたかの次の瞬間
大きな揺れが襲ってきました


わたしは黒い車の辺りで座って
ぐらぐらと揺れる地面にしがみつきながら

とんでもないことが起きている

それだけしか考えられませんでした

この駐車場に飛び込んだのは
頭上に電線がなにもないから

それだけは 正しい判断が下せた と思いました








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@藤沢市



江ノ電は動かず
モノレールももちろん動いてません

津波警報が街中に鳴り響く中
絶望的な思いで見上げたモノレールの階段

歩いて鎌倉駅に戻る行程の始まりです








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@鎌倉市



迷いながらの鎌倉への道
海沿いに出てしまったり
パトカーに高台に避難するように指示されたり
途中のホテルでトイレを借りたり
江ノ電の線路を辿ったり

鎌倉駅まで行ったら
とにかくお店に入ってお茶を飲もうね

そんなあまい考えをしていました
お店の人たちも早く自宅に帰りたい
家族が心配なのはみんな同じ
どこもここもお店は閉店していました
停電で営業が出来なかったこともあるはず

真っ暗な鎌倉の街には
たくさんの行き場のない人たちが溢れてました
駅員さんに聞きました

避難所はないのですか

近くの小学校を解放しているのですが
停電で道が暗くて行かれませんよ


明かりが点いてるATM
あそこに入れば寒くない
一番奥に駆け込んで
夜を過ごすことを決心しました







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@鎌倉市



余震が来ると携帯の地震警報が鳴り
ATMから外に出たら
家に近いターミナル駅行きのバスが
1台停まっていました

さあ 乗ってください
もっと奥まで詰めてください
まだ乗れるはずです

運転手さんの声に誰も文句を言わず
ギュウギュウに身動きがとれないほど
詰め合わせて乗りました




5年経った今日はゆったり座れ
空席も目立ちます


わたし自身の身上も変わり
周りも変わり
月日は確実に流れていることがわかります

変わることで前進出来ること
色褪せさせずに残す思い
あの日の足跡を辿りながら
5年の月日が経った今
改めて考える時間を持てたことに感謝します


そして
まだ家に帰りつけない人たちのことを想うこと
今のわたしに出来る
微々たることかもしれませんクローバー