こんばんは
ここ数日、私が尊敬してやまない方の訃報が連日続き、憔悴しております
落語家の三遊亭円楽さん・・・
父の影響や職業柄か、落語をよく聞かせていただきます
週末の夕方は笑点を家族で観ることが幼い頃から日常となってました
そんな中エッジの効いた、ウェットに富んだ回答の楽太郎さん(現在の円楽さん)が大好きでした
最近では、週刊誌に不倫をすっぱぬかれた際のスピーディーかつスマートな記者会見は評価され、会見時のなぞかけはお見事でしたね
「今回の騒動とかけまして、東京湾を出ていく船と解きます(その心は)後悔(航海)の真っ最中」
さらにこの爆笑会見には続きがあります
「天保銭(江戸時代の小銭)と解く、今は通用しません」
この2連発でした
数々の名言を残され、今後も多くのお弟子さんやファンたちに語り継がれていくことでしょう
人気プロレスラーのアントニオ猪木さん・・・
プロレス界を引退されてからは、政治家の色が強くなりましたが、私がプロレス好きになったのもアントニオ猪木さんがきっかけです
1998(平成4)年4月4日の午後4時にアントニオ猪木さんの引退試合があり、私は15歳でしたが鮮烈に覚えております
この引退試合後の伝説スピーチは私の人生観を大きく変えてくれました
中学生の時に東京都で開催される全国都道府県大会に大分県選抜で出場した際は、自由時間に一人でプロレスショップへ向かい、選手Tシャツやグッズを購入しましたし、アントニオ猪木さんが中津市へお越しになられた時は、闘魂注入ビンタをいただいたぐらい尊敬してました
選挙戦のキャッチコピーは「国会に卍固め」や「消費税に延髄蹴り」などこざいますが、私はやはり引退セレモニー時のあの名スピーチに胸を打たれました
「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ。」
私は高校1年生の冬にクラブ活動中に大怪我をしてしまい、しばらくリハビリ生活が続き、その間に先生のすすめで弁論大会に出場することになり、あれよあれよと地区大会や九州大会を勝ち上がり、全国高等学校総合文化祭に出場いたしました
その時の弁題が「敵は我が心にあり」で、この怪我を克服するにあたり、猪木さんのスピーチが頭から離れず、心の支えになったと弁論をさせていただきました
結果的にリハビリを終え、全国高等学校体育祭にも出場し、高体連も高文連もどちらもインターハイに出場した例はなかったようで、大分県から栄誉な賞までいただくことになりました
私にはとてももったいないぐらいでしたが、あの時の猪木さんのスピーチがあったからこそ、私は大怪我を克服できたのだと思います
長々と昔話を失礼いたしました
追悼の10カウントゴングを心で鳴らし、お念仏申させていただきます