先月の夏至の翌日、

元上司に誘われて大江山を散策走る人

 

軽く山登りしたあと、京都府宮津市にある鬼の岩屋に立ち寄りました。

 

 

 

 

鬼の岩屋を訪れるのは2度目。

 

洞窟の入り口はいくつか撮っている。

 

全景も何かの資料になるかもしれないから、と

急いで撮り、先にいく元上司のあとを追って

足早にその場を立ち去りました。

 

山から帰ってきて、落ち着いてから画像をみたのですが、

あーータラーこれピンボケじゃーんとがっかりガーン

 

 

 

 

でも、、、さっき私が実際に見た光景とはどこか違って

異次元な雰囲気?

迫力さえ感じられるような、、、!?

 

 

白い光?球?らしきものが写ってるけど

こんなものあったっけ???

 

すぐに一緒に行った元上司に

「これなんだと思います?」と送ったけど

 

「さっぱりわかりません」って返ってきた。

 

近くにいた人に見せても

「これ、幽霊か?怖いなあ」という反応。

 

返ってきた答えはどれも薄っぺらいアセアセ

ごめんなさーい、でも確かにわかんないし怖いとも思うよね

 

私は私で

いやいやいや、これはそんなもんじゃないかも?

スケール大きい感じするぞ?と思ったけど

いかんせんそれ以上のことはさっぱりわかりません。

 

タイミングよく

数日後にリノキアさん(昨年から時々鑑定していただいてます)とお話することになっていたので、

この画像も視ていただくことにしました。

 

リノキアさんが読み取ったことは

私の想像をはるかに超えていました。

私はこれはもしかしたら山とか土地とか岩とかの意識?神様?なんて思ってました。

 


二つの光の球は、それぞれ魂であって、

そしてどちらも複合体。

 

たくさんの魂が寄っている集合体。

 

中心にある中核の霊魂を基点として、

いろんな魂が何十も何百も入って一群となっています。

 

これは、古来のエネルギーの在り方で、

古来はこれくらい渾然一体だったんですよ。

 

 

京都の北部にある大江山の山々は、

三つの鬼退治伝説が残る地として

古くから知られるところ。

 

この鬼の岩屋も伝説の場所の一つ

鬼退治伝説の中で

追い詰められた鬼が最後に立てこもった場所とも

もともと棲んでいた所とも言われてます。

 

江戸時代の頃は、通行も盛んで

観光地としてにぎわった時代もあったそうです。

 

 

この鬼の岩屋の写真、

これが木なのか岩なのかわからないくらい

兼ねあって混ざり合って映っていて、

岩屋のエネルギー全部が渾然一体となっている。

 

こういった、鬼という伝説一つとっても

いわくつきの伝説のあるところというと、

いろんな霊魂が密集するベクトルとなる。

 

そうするといろんな魔的なエネルギーや良いエネルギーが

良い悪いではなく渾然一体となって習合する形となる。

 

だからこのようないわれのある所では、

これはこう、と言い切れないくらい

エネルギーが渾然一体となっている。

 

これはこの地域ならではの特徴です。

 

いろんなことが伝説だけで伝わっていて秘匿され、

すべてが明かされてこなかった。

いい意味で隠密が保たれてきたのでしょう。

 

隠されたといっていいものがエネルギーとして強いので、

そういったものが人知れず集まりやすい。

 

だからそれぞれの球に何十も何百も霊魂が入っている。

 

リノキアさんは、二つの球をそう読み取ってくださいました。

 

 

そしてここから様々な意味がとらえられる、と

この姿は一つの意味だけではなく、いろんな意味合いにとらえることが出来る

様々な意味合いを教えていただきました。

 

古来はこれくらい交わっている。

光と闇があるように霊魂も含めて表裏一体。

 

鬼というものもひとつの側面。

鬼もいろいろな考え方がある。

 

鬼=ダメということではなく、

地域や歴史の兼ね合いの中で様々な側面を持つ。

 

人間もいいところもあれば醜い面も持っている。

 

その人ひとりとっても、その人自身様々な面があるように、

すべてにいろんな側面があり、

この世の中も同じように渾然一体となっている。


これはある意味、古代の自然崇拝、アニミズムといったもの。

 

それ自体がこの世の中の一部であり、

この世の中を世の中たらしめ

宇宙を宇宙たらしめている。

 

これが本当のありかたで、

もともと日本はそういう信仰だった。

 

 

今の私たちは個性とか別個とか

それぞれ分けてとらえているけれど、

かつてはそんなものではなくて、すべてがごっちゃだった。

 

古来の宗教はそんなものではなかった。

イザナギ、イザナミの神産みの話から分かるように、全部がごっちゃだった。

 

もとは一緒ってこと。

 

本来はこの球の在り方のように

すべてが一緒でこれくらい交わっていた。

 

 

神様一つであってもいろいろな要素がある。

神様にも和魂、荒魂などいろんな要素がある。

 

荒魂も狂暴であっても祀る。

それはそういう要素であっても大事で、

大切な構成要素であるから祀られる。

 

荒魂も和魂も幸魂もそれぞれが大切だからすべてが祀られる。

 

神仏習合も同じ。

 

神仏分離は

力をそいだり、本来の本質というものを見えなくするために

セパレートさせられた、戦略的なものです。

 

今では神様の名前もあれば、

いろいろなことが色分け区分けされ、

お社もそれぞれあって、いろんなものがセパレート。

 

私たちは知覚しないといけないから、

認識しないといけないから

ラベリング、区分けして細分化します。

 

それは良しあしもある。

 

区分けするからこそ進展することもある。

けれどもお互いが戦い傷つけあったりすることにもなる。

 

古来はそうではなかった。

 

光も闇も

さまざまな霊魂も

すべてが一群となって大切な要素としてかみ合っていた。

 

これが本来の信仰です。

 

これがいい、悪いではない。

すべて受け入れるという日本古来の土壌の深さなのです。

 

そして、独立した単体それぞれが交わっているともいえますね。

それぞれがそれぞれの特質を持って大切な命として生かされている。

そういった存在さえも大事な一群の一つとしてあらわされているとも言える。

 

どれもが孤独、単体ではなく

いろんなものが兼ね合い、

支えあって上手にかみ合って、

 

この世の中、一つの魂が

組成し、合わさっている。

 

世界はすべてのものが組み合わさって

一緒になったものが調和して成り立っているということです。

 

あまたあるこういったエネルギーが、すべてのものの構成要素であって、

どれも大事でかけがえのないもの。

どれすらも(自分自身も)こういった構成要素のひとつとして

いい意味で組み込まれているんです。

 

そう思うと自分自身の命もなおさら大事と思えますよね。

 

リノキアさんのお話は深かったお願い

 

 

そして、

この二つの白い球、、、

混然一体となった姿が区分けされずに

これだけきれいな球としてとらえられたものは珍しいキラキラ

 

とのことで、とてもうれしそうに話してくださいましたニコニコ

 

なんかすごいものが撮れちゃったかも?

とは思ったけど、大したものではないかもしれない。

そんなものを時間を割いて視てもらってもいいものか。。。

ちょっと躊躇する気持ちもあったのですが、

 

リノキアさんに視ていただいて本当に良かったですおねがい

 

 

話を聴いている間

「全は一、一は全」

の言葉が頭の中でリフレインしてた。この言葉の出処は何だろ?口笛

 

世界は全てのものが、何一つ無駄なものはなく、すべてが関係しあって

重なり合って調和のもとに成り立ってる。

 

一つ一つの集合体が集まって、さらに大きな集合体となり、

また集まりもっと大きな集合体となり、、、

その中で一つ一つの要素が輝きを放ち、

調和することで、世界は秩序のもとに成り立っている。

 

私自身も様々な要素からなる集合体だ。

私も一つの球。

その私の球は、さらに大きな球を構成する要素の一つでもあるってことだ。

 

それぞれがどれ一つ欠けることなく、世界を構成する大切な要素の一つ。

 

ならばダッシュ

私がやるべきことが見えてきた。

 

日々関わる全ての関係の中から得た

気づきや経験を糧にして、

私自身の球、そして私が関わる個々の要素や

集合体を構成する一つ一つの要素を

全部受け入れて

 

自分自身を調和で満たすことで

私自身が本来持っている輝きを100%放ち、

 

私が関わる関係、世界を調和へ導く力の一つとなる。

 

壮大だなあ驚き

また自分でハードル上げちゃったよタラー

 

でもこれができたら

最高に幸せなんじゃないの?キラキラ

 

これが私が今世、この世に命をいただいた目的の最たるものなのかも流れ星

 

 

微々たるものかもしれないけど、

混沌をひっくり返す力を放つ。

 

私自身の善も悪も、光も闇も

この世の善も悪も、光も闇も

抱きまいらせ、一つとなる。

 

できますかねタラー

でもそう感じた以上、日常の生活の中で

やっていくことになるんだろうなスター

 

あ~、やっぱり一生精進は続くのですねえニヤニヤ

 

 

この地域に縁もゆかりもなかった私が

不思議なものでご縁をいただいて

大江山連峰の麓で日々を過ごしている。


こんな辺鄙な所に飛ばされて配置された私のことを

不憫に思う人もいるみたいだけど

 

いやいやラッキーだったよ。

最高に気持ちいい所ですデレデレ

 

大江山連峰の山々からなるこの地域は、

オフィオライトといって、

 

およそ4億5千万年前に地殻変動で海底の地殻(マントル)が隆起してできた、

かんらん岩や蛇紋岩などで成り立つ、日本最古の地形なんだそうです。

 

4億5千万年前といったら、三葉虫が海を泳いでいた時代だそうです。

 

最近知りました。

 

日々通い、到着して車からこの地に降りるたびに

最高に気持ちいいと感じるのは

 

大江山の山々から放たれる

太古のエネルギーに反応しているからなのかもなあって

思いました。

 

全身全霊、私のすべてが喜んでると感じることも度々です。

 

私、ほんとうに変態幸せ者だなあって思います。