福岡ぐりむ療育とピアノと学習の教室です。別ブログやXの過去記事にコメントを加筆して書いていっています。
2017年のポストです。
早期に中度の知的な遅れを伴う自閉と診断を受けられ療育センターで療育を受け、特別支援学校へ通われていらした生徒さん。
当時、通っていらした放課後デイでやっている英語で「複数形のスとズをよく言えると褒められて~」と、お母さんが嬉しそうにおっしゃる姿に、中度知的エコラリア中心の生活で、本当にいま、その英語学習の優先度は高いのだろうかと困惑したことを覚えています。
レッスンは週1。
ぐりさんの感触としては、診断を受けた時点から週2でスタートしていれば、
せめて、もっと言語でのやりとりのパターンも多くなったろうし、
決意と覚悟を持って臨めばもっとわかること、できることを増やせていただろう、
ひいては支援学級への入学も視野に入れられていたかもしれないということ。
『たら』とか『れば』とかの話になりますが。
でも、そうならなかったことは、いまのところまだありません。
それが幸せな選択かどうかはわかりませんが。
レッスンは一般的な療育とは趣旨も指導内容も全然異なります。
ぐりさんは、期待を持たせるようなビジネストークというのが苦手でしてね。
「よくついてくるし、よくできるよ」ってお母さんに正直にお伝えしたのですが、
産まれてから当時小学校1年生まで一度たりとも『よくできる』なんてことを誰からも言われたことがなかった生活で、お子さんのことを褒められていることはわかるけど、どんなリアクションをしてよいのか戸惑っていらした印象でした。
そして、教室あるあるですが、
ご家庭でのミスリードによる抜け落ちのパターン。
やっぱり喜んでくださったんだなー。
からの崩れ、抜け落ち。
そしてお母さんのダメージ。
ただでさえ、『苦労』だなんて簡単に一言でまとめられないようなことばかりだったといっても過言ではない日々を過ごしてこられた中で、やり場のなかった想いと苦しみ哀しみ、そしていままでの蓄積されたお疲れ。
それに、レッスンという新しい生活のリズムによるご負担と移動の疲れ、
今まで周りにいなかったタイプの人間の 今まで言われたことのないような言葉による緊張と不安、そして安心と喜びに希望と期待。
「通常学級にやりたい」と、
週1レッスン半年で高揚しておっしゃってしまわれるお母さんに、
うん、お気持ちはよくよくわかりますが、いまはやるべきことをね、となだめますが…
そこからどんどん辛くおなりでフォローも追いつかずでした。
もうね、どのお母さんのお身体と精神状態はそれどころじゃなくて、とっくに限界超えてるんですよね。
中度以上や自閉が強い場合日々の暮らしは想像をはるかに超えます。
1年生の急激な伸びは、お母さんには刺激が強すぎたのか。
導入って大切ですね。
お母さんが泣く暇も落ち込む暇もなく、誰かに寄り添ってもらったり、本当の気持ちを口にしたりもできないまま年月だけが過ぎ、レッスンでお子さんが少しずつ伸びてきて初めてホッとして、なーんとなく現実に意識が向き始めたときに、拒絶とか怒りの感情の段階に入ることは少なくありません。
やり場のない気持ちは、そのとき受け止めてくれそうな人に向けられます。
お子さんはレッスンで伸びていけるけど、親御さんが辛くなる現象が起きるのです。
ぐりさんが、自閉・発達障害に特化するときに相談したベテラン臨床心理士の「特性は子どもだけの問題じゃないから難しい」という言葉が頭をよぎります。
通常学級だろうと支援学級だろうと、特別支援学校だろうと、どこにいようとも自分がそのときできる最高のパフォーマンスを発揮して、限りなく上を目指すこと。
それが、ぐりさんが目指していることです。
力不足なこともたくさんたくさんあります。
ですが、発語のなかったお子さんとコミュニケーションとれるようになる過程はこの上ない喜びですし、嬉しそうに親子で話しているお母さんを見ると本当によかったなと思います。
そして、今日もたくさんの生徒さんたちの「できたー」「よっしゃー」の瞬間に立ち会ってパワーをもらい、また、ヨシ!と腕をまくるのです。
使命を持ってレッスンに臨んでいますし、天職とさえも思っています。
が、
あまりにマニアックすぎて、全力で受け取ってくださるご家庭がないという笑
親御さんの心身の状態も極限で心配な状態ですからね。
子育ての喜びを味わい、
ご家族でひとつでもたくさんの思い出を作っていただくことが
ぐりさんの願いです。
思ってもみなかった生活はあります。