「織田信長 第5巻 本能寺の巻(山岡荘八著)」読了。
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とうとう最終巻。たった5巻なのに、1巻の読み始めから2ヶ月半も費やしてしまった。ま、色んな本を読みながらなので、実質は1ヶ月くらいだが。

本巻は長篠の戦いから上杉謙信との北陸のせめぎ合いを経て、本能寺での横死へと繋がる。各戦さを緻密に描いており、GoogleMAPを片手に読み進めると、敵味方の位置関係が分かって楽しめた。一方、切り捨てるべきところはバッサリと切り捨てた書きぶりであり、メリハリの効いた書きぶりで読みやすい。

本巻で最も私が楽しめたポイントは対上杉謙信戦。味方不利と悟ると、さっさと逃げるのだが、一気に逃げず、北陸の多くの砦に各部隊を残すやり方で籠城させる。まるで、海浜の岩穴へ隠れていく蟹のように。上杉方は、織田方に籠城されると、背後を襲われては敵わないため、その砦毎に軍勢を割かねばならない。そして、北ノ庄あたりで先が細くなって進めなくなっていく、というカラクリ。これにより、中国担当の秀吉、大坂担当の佐久間、明智など各方面から呼び寄せることなく、北陸担当だけで食い止めることが出来たのだ。戦略って凄いな~。不利な状況で犠牲を最小限に抑えることが出来たのだから。

その他、興味深く感じた点を引用したい。

・「分からぬ奴だな、安土へ築城ということは、謙信が敵に回ったということじゃ。謙信が来ると毛利も東上する。岐阜に居たのでは間に合うまいが。」
→信長が明智光秀に安土城築城を説明した時のセリフ。今まで、何故安土に城を築いたのか考えもしなかった。岐阜でなく、京都にでもなく、安土に。それは、上杉にも毛利にも対応出来る、要衝の地であったからなのだ。

・「将軍が事を構える度に禁裏を焼き、都を焦土となしてたまるものか。それゆえ、天下を平定しても、武将は都へ住んではならぬ。その昔、頼朝が鎌倉に幕府を開いたのはそのためじゃ。」
→これが京都に築城しなかった理由。

・面白いのは、この定書の最初の文句だった。大抵のものは「何々すべからず、したる者はどう罰する」と書いてゆく。ところが信長は「何々したる者は罰せず。但し何々の場合は何々せよ」と罰さない方から先に書いて住民指導の方向を示している。このあたりに、信長の鋭い政治感覚と軍律の厳しさとは正反対に、人心収攬の巧みな人間味がうかがえる。
→単に厳しい面ではなく、どうすれば住民を手懐けることが出来るか、工夫を凝らしているのだ。




今年初の風邪をひいたようだ。

昨日までは何ともなかったのに、今朝起きたら若干の悪寒と、気管支の違和感。咳がヤバそう。

おかしいなぁ、この1週間ほどは水泳、ジム、テニスなどの運動をせずにおとなしくしていたから汗やシャワー後の湯冷めなどしていなかったはず。手洗いうがいも励行していたし。火曜日は大病院での精密検査だったから、1日は仕事していないし、今週は残業もゼロ。

つまり、風邪をひきそうな要素はないはずなのに。ま、あえて言うと、花粉症により睡眠の質が悪く、疲れが溜まっていたということか。

今日は幸か不幸か、午前中はOfficeのレイアウト変更、午後は昨年度のOfficeに出向いて仕事、夕方からは2年前お世話になった上司Tocarさんの退職送別会。どれも外すことが出来ない反面、それほど密度は高くない。

どれもパワー押さえ気味にして、何とかクリア。が、送別会を終えた時は22時過ぎで声が全く出ずぐったり。少し早くご無礼すれば良かったかな。ま、楽しいメンバーと最高の時間を過ごせたから良かったかな。

明日、病院で診てもらおう。

やっぱり3月は鬼門だな。