「日本の城郭鑑賞のコツ65(中井均著)」読了。
image


城好きであちこち訪れている割には、あまり城についての知識がなく、細かいことにはこだわらない私。
私の城・城跡訪問記はコチラ。

せっかくの趣味なのに、深めないのはもったいないと思い、手に取ってみた。

以下に興味深かった点を引用したい。どれも目から鱗の知識。

・戦国時代には多くの山城が築かれたが、近世では激減。関ヶ原の戦い後に新たに築かれた山城は豊後佐伯城のみ。
佐伯城訪問記はコチラ。

関ヶ原の戦い後に築かれた近世城郭では実際に戦がおこなわれたのは、島原の乱と戊辰戦争の2回のみ。
→鉄砲狭間やら石落としやらを造作しても、結局使われていないのか。清洲城の石落としはコチラ。

近世城郭は、関東以北では土塁造り、西国では石垣造りが多いのが特徴。東国大名は戦国時代以来土造りが伝統だが、西国大名は豊臣大名として石垣構築技術を会得したため。
中津城の石垣はコチラ。

親藩、譜代、外様のうち、転封があったのは譜代のみ。
→それは初耳!

絶対的な権威の象徴として葺かれた金箔瓦は、信長時代には安土城と息子の城にのみ。秀吉時代には一門と有力家臣、徳川家康領に接する諸城、名護屋城への道程にのみ。
岡山城の金箔はコチラ。

馬屋が現存するのは彦根城のみ。

日本ではヨーロッパのように城下町を城内に取り入れたり、城壁を構えるなどしなかったため、民は守られなかった。しかし、ほとんどの戦いは城主一人の命で民の安全は保障された。そのため、町を囲い込む必要がなかった。
→秀吉が備中高松城攻めで清水宗治を切腹させて戦いを終わらせたエピソードなどか。そういう日本独自の文化、倫理なんだろうな。

廃城になった城の土塁や石垣は雨などで崩れるなど管理に手間がかかる。そのため、手入れが簡単な桜を植樹した。
→これも初耳。城跡に桜、というのはセットなのだが、そういう理由があるのか。

以下は、戦国武将が残した名言で印象深かったもの。

織田信長
「臆病者の目には、敵は常に大軍に見える」
→仕事でもそう。大した仕事内容でもないくせに、大袈裟に騒ぐのは格好悪いから止めよう。

加藤清正
「よその若者を褒めることは、うちの若者をけなすことだ」
→仕事でもそう。別の部署の部下を褒めることは、自分の部下をけなすことにもなる。気をつけよう。