夏季休暇3日目。
今日は、妻が14年間勤務した会社へ退社挨拶に赴くため、娘と水入らずで過ごすのだ。昨日誕生日プレゼントに購入した三輪車に、今日も娘を乗せて散歩。当然、ペダルを漕げる訳もなく、私が補助棒を操作して運転するのだが、なかなか楽しい。娘もまんざらでもないようだ。
晩御飯は豚キムチ、サラダ、味噌汁、白飯を作った。いつも料理していると、娘は「遊んで、かまって」と足元でじゃれてくるのだが、今日はあえて放っておいたら、諦めてすごすごとリビングに戻っていった。「遊んでもらえん…」と悟ったのだろう、背中が淋しそうだった。時々様子を見にリビングに行くと、独りで遊んでいた。いつもこうだと良いのだが。
今年の夏季休暇はまさに家族のために使った休暇であった。結婚して子どもができるとそうなるのだろう。来年はもう少し遠方に娘を連れていきたいものだ。今は娘が小さく、中々それも出来ないため、私は私で読書による仮想旅行をしているのかもしれない。
「竜馬がゆく 第1巻(司馬遼太郎著)」読了。
「坂の上の雲」に続く司馬作品である。前々から読みたい読みたいと思いながら中々機会がなかったが、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を観、そろそろ読もうとようやく手に取ったのだ。
なお、「龍馬伝」もそうだが、司馬作品「竜馬が行く」はあくまでフィクションを取り入れた小説であり、これによって歴史の勉強をしようとは考えていない。だから、史実とは違うだろうなどと野暮なことを言うつもりはなく、あくまで一人の若者の青春群像ドラマとして愉しむつもりでいる。司馬先生も、フィクションとして描くため「龍馬」の字を「竜馬」と変更して用いている。しかし当blogでは敢えて本名の「龍馬」で通したい。
さて、読み進めるも、大河ドラマ「龍馬伝」の印象が強すぎて、ついついそれと比べてしまう。つまり、龍馬が福山雅治、岩崎弥太郎が香川照之、武市半平太が大森南朋というように。まぁ龍馬ファンには賛否両論あるだろうが、私はあのキャストには寛容なほうなので、龍馬を福山雅治として読み続けよう。
司馬先生の描く龍馬は魅力的な男である。何より人間的にでかい。この作品を読んで龍馬ファンになった人は多いと聞くが、私も8巻全巻読むうちに龍馬という男の虜になりそうだ。
以下が、典型的な龍馬の人生観を描いたもの。
・龍馬という男は、いちいち自分の行動に理屈をつけねば安心できない現代の住人ではない。
・武士であるとか町人であるとか、そういうものはこの世の借り着で、正真正銘なのは人間いっぴきの坂本龍馬だけである、と思っている。これが龍馬の一生を通じての思想だった。
→当時の土佐は、上士と郷士という、先祖が関ヶ原合戦での東軍(山内)か西軍(長曽我部)かの違いにより、今では考えられない身分差別を受けていたにも関わらず、この自由闊達さは素晴らしい。龍馬は郷士であるから、むろん身分差別への反発心はあっただろうが、そんな暗さは微塵も感じさせない。こんな男が変革期には必要なのだ。
また、龍馬伝でも龍馬のライバル(!?)として描かれている岩崎弥太郎、司馬作品においてもやはり魅力的に描かれていた。その岩崎が発した言葉が以下のとおり。
・「世の中は一にも金、ニにも金じゃ。世の中は金で動いている。詩文や剣では動いちょらん。わしは将来、日本中の金銀をかき集めて見するぞ」
→そのとおり、三菱財閥を築くのである。龍馬とともに本作品にて注目していきたい人物である。
とうぶん、龍馬にハマろうと思う。
竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)
著者:司馬 遼太郎
文藝春秋(1998-09-10)
おすすめ度:
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
今日は、妻が14年間勤務した会社へ退社挨拶に赴くため、娘と水入らずで過ごすのだ。昨日誕生日プレゼントに購入した三輪車に、今日も娘を乗せて散歩。当然、ペダルを漕げる訳もなく、私が補助棒を操作して運転するのだが、なかなか楽しい。娘もまんざらでもないようだ。
晩御飯は豚キムチ、サラダ、味噌汁、白飯を作った。いつも料理していると、娘は「遊んで、かまって」と足元でじゃれてくるのだが、今日はあえて放っておいたら、諦めてすごすごとリビングに戻っていった。「遊んでもらえん…」と悟ったのだろう、背中が淋しそうだった。時々様子を見にリビングに行くと、独りで遊んでいた。いつもこうだと良いのだが。
今年の夏季休暇はまさに家族のために使った休暇であった。結婚して子どもができるとそうなるのだろう。来年はもう少し遠方に娘を連れていきたいものだ。今は娘が小さく、中々それも出来ないため、私は私で読書による仮想旅行をしているのかもしれない。
「竜馬がゆく 第1巻(司馬遼太郎著)」読了。
「坂の上の雲」に続く司馬作品である。前々から読みたい読みたいと思いながら中々機会がなかったが、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を観、そろそろ読もうとようやく手に取ったのだ。
なお、「龍馬伝」もそうだが、司馬作品「竜馬が行く」はあくまでフィクションを取り入れた小説であり、これによって歴史の勉強をしようとは考えていない。だから、史実とは違うだろうなどと野暮なことを言うつもりはなく、あくまで一人の若者の青春群像ドラマとして愉しむつもりでいる。司馬先生も、フィクションとして描くため「龍馬」の字を「竜馬」と変更して用いている。しかし当blogでは敢えて本名の「龍馬」で通したい。
さて、読み進めるも、大河ドラマ「龍馬伝」の印象が強すぎて、ついついそれと比べてしまう。つまり、龍馬が福山雅治、岩崎弥太郎が香川照之、武市半平太が大森南朋というように。まぁ龍馬ファンには賛否両論あるだろうが、私はあのキャストには寛容なほうなので、龍馬を福山雅治として読み続けよう。
司馬先生の描く龍馬は魅力的な男である。何より人間的にでかい。この作品を読んで龍馬ファンになった人は多いと聞くが、私も8巻全巻読むうちに龍馬という男の虜になりそうだ。
以下が、典型的な龍馬の人生観を描いたもの。
・龍馬という男は、いちいち自分の行動に理屈をつけねば安心できない現代の住人ではない。
・武士であるとか町人であるとか、そういうものはこの世の借り着で、正真正銘なのは人間いっぴきの坂本龍馬だけである、と思っている。これが龍馬の一生を通じての思想だった。
→当時の土佐は、上士と郷士という、先祖が関ヶ原合戦での東軍(山内)か西軍(長曽我部)かの違いにより、今では考えられない身分差別を受けていたにも関わらず、この自由闊達さは素晴らしい。龍馬は郷士であるから、むろん身分差別への反発心はあっただろうが、そんな暗さは微塵も感じさせない。こんな男が変革期には必要なのだ。
また、龍馬伝でも龍馬のライバル(!?)として描かれている岩崎弥太郎、司馬作品においてもやはり魅力的に描かれていた。その岩崎が発した言葉が以下のとおり。
・「世の中は一にも金、ニにも金じゃ。世の中は金で動いている。詩文や剣では動いちょらん。わしは将来、日本中の金銀をかき集めて見するぞ」
→そのとおり、三菱財閥を築くのである。龍馬とともに本作品にて注目していきたい人物である。
とうぶん、龍馬にハマろうと思う。
竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)著者:司馬 遼太郎
文藝春秋(1998-09-10)
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