さあ、いよいよ念願の弘前城本丸へ。
あれ?天守があるべきところが工事中。

下調べを怠っていた私は知らなかったが、現在、弘前城では本丸石垣修理事業の真っ最中とのこと。つまり、本来建っていた天守の場所から天守を移動させ、石垣を大修理していると。
だから、天守はこんなところに。

あらら、なんかちゃっちい感じ。だって仮置き場に置いてんだもんな、仕方ないか。


天守は三層のこぶりな感じ。

中は津軽藩の歴史というよりは修理事業の説明ばかり。



これはお決まりの石落とし。

でもこの城ではここから石を落とすような大きな戦はなかったと思うのだが。お城の完成は1610年と、既に江戸時代に入っていて、大坂の陣があったほかは戦争のない平和な時代。この天守、1627年に落雷により焼失したのでわずか17年しかもたなかったらしい。で、現在の天守は時代はくだって1810年に再建されたもの。戦争もない時代で、なおかつ参勤交代などで毎年大金が出費されるのに、よく天守再建できたなと思うのだが、パンフレットによれば蝦夷地警備の功績が認められたため、隅櫓の改築を理由に天守も再建してしまったらしい。なかなか悪賢い津軽藩。
最上階である3階はどこの城にもよくある日本全国の城ギャラリー。

最上階から工事現場(右側)を撮影したもの。なお、左側は写真撮影用に組み上げたもの。

工事現場。

かなり大規模に足場を組んでいる。

北門。

北側のお堀。

さ、弘前発の黒石行き電車まであと1時間弱。ざっと残りの市内観光だ。
あれ?天守があるべきところが工事中。

下調べを怠っていた私は知らなかったが、現在、弘前城では本丸石垣修理事業の真っ最中とのこと。つまり、本来建っていた天守の場所から天守を移動させ、石垣を大修理していると。
だから、天守はこんなところに。

あらら、なんかちゃっちい感じ。だって仮置き場に置いてんだもんな、仕方ないか。


天守は三層のこぶりな感じ。

中は津軽藩の歴史というよりは修理事業の説明ばかり。



これはお決まりの石落とし。

でもこの城ではここから石を落とすような大きな戦はなかったと思うのだが。お城の完成は1610年と、既に江戸時代に入っていて、大坂の陣があったほかは戦争のない平和な時代。この天守、1627年に落雷により焼失したのでわずか17年しかもたなかったらしい。で、現在の天守は時代はくだって1810年に再建されたもの。戦争もない時代で、なおかつ参勤交代などで毎年大金が出費されるのに、よく天守再建できたなと思うのだが、パンフレットによれば蝦夷地警備の功績が認められたため、隅櫓の改築を理由に天守も再建してしまったらしい。なかなか悪賢い津軽藩。
最上階である3階はどこの城にもよくある日本全国の城ギャラリー。

最上階から工事現場(右側)を撮影したもの。なお、左側は写真撮影用に組み上げたもの。

工事現場。

かなり大規模に足場を組んでいる。

北門。

北側のお堀。

さ、弘前発の黒石行き電車まであと1時間弱。ざっと残りの市内観光だ。