「竜馬がゆく 第八巻(司馬 遼太郎著)」読了。
8月から読み始め、周辺書籍と共にゆっくりと歩んだが、とうとう読了。正直、前半はいまいち退屈な場面もあったが、中盤から後半にかけては紆余曲折だらけで面白すぎてペースが一気に上がった。
最後は暗殺されて終わる。但し、龍馬&中岡の暗殺犯は黒幕、実行犯ともに現在においても解明されてはおらず、本書でも一応実行犯として見廻組の佐々木唯三郎の名前が登場するだけで、詳しくは触れられていない。大政奉還を成し遂げ、新政権への布石を打とうとする矢先の暗殺であり、尻切れトンボな小説の感が拭えない。もうあと10年龍馬が生きていたら…と思うが、タラレバ話は歴史を語るにあたり意味がない。龍馬が日本の歴史を変え、新しい社会を開いたことは現実なのだ。私が好きな場所に住め、好きな職業に就け、勝手なことを喋っていられるのは、ひょっとしたら龍馬のおかげなのかも知れない。いや、ひょっとして龍馬がいなくても他の人物が同じかそれ以上の仕事をしたかも知れない。想像は膨らむ。
大河ドラマはもう少しあるし、龍馬関係の書は今や盛りだくさんであるので、もう少し様々な面から龍馬の世界に浸ろうと思う。現に、大政奉還を突き付けられた側の話である「最後の将軍(司馬遼太郎著)」を並行読書している最中である。
さて、今回も心に響いたセンテンスを引用したい。

「しかない、というものは世にない。人よりも一尺高くから物事を見れば、道は常に幾通りもある」
→武力討幕にこだわる中岡慎太郎を戒めた言葉。これは人生において肝に銘じたい言葉である。とかく一面でしか物事を見れないことが多いが、一段高い場所からの視点で物事を見れば、異なった方法というものも見えてくるのだ。

「男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし同時に、大勢と一緒に酔態を呈しているべきだ。でなければ、この世で大事業は成せぬ」
→孤高主義を貫こうとする陸奥陽之助(宗光)に対して戒めた言葉。酒に呑まれることなく、かつ呑まれたフリをせよということか。

「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分は誰でも出来る。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」
「俺が平素そういう心境でいたからこそ、一介の処士に過ぎぬ俺の意見を世の人々は傾聴してくれた。大事を成し遂げたのも、そのお陰である」
→新政府に参加しない龍馬に対して陸奥に問われた際に返した言葉。本書におけるもっともハレの場面である。人間、なかなかこんな態度は取れないものだ。大事業の下地作りをし、苦労に苦労を重ねたうえ、画竜点睛の瞬間を他者に譲ってしまうというのだ。現代で言えば、成果主義が厳しく問われるサラリーマンが、例えば新プロジェクトを立ち上げる直前まで仕上げ、その手柄を同僚に譲るというものである。私をはじめ並みの人間には出来ない考え方である。だからこそ、司馬先生の描く龍馬は魅力的なのだろう。
竜馬がゆく〈8〉 (文春文庫)竜馬がゆく〈8〉 (文春文庫)
著者:司馬 遼太郎
文藝春秋(1998-10-09)
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