次の目的地、中津城へ。「ぶんごや」前の道を北西にわずか5分。
出た!美しい。
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平日ということもあり人もまばら。あちこちの方角から写真撮影。
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これは黒田氏時代(右 安土桃山時代)と細川氏時代(左 江戸時代初期)の石垣の交差する部分。なるほど、石の種類や組み方が違う。
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さて、城内へ。400円を払おうとすると、福沢諭吉旧居400円とセットで600円というチケットがあったのでそれにした。旅は上手にしなきゃ。去年の熊本城と水前寺公園などを周る熊本旅行も平清盛を巡る神戸旅行も、それぞれセットチケットを購入して電車乗り放題だったし、施設も割安で入れた。
私、ほとんど大した予習もせずに(せいぜい黒田官兵衛が城主だった、くらい)この城へ来たのだが、この城は江戸中期から奥平家が城主だったとのこと。奥平家とは徳川家康の家臣であり、あの長篠の戦いで兵糧の不足する中で長篠城に立てこもり武田軍からの攻撃から持ちこたえた奥平家である。つまり、わが愛知県にゆかりのある家。その軍功から当時の当主:奥平貞昌は織田信長から信の字をもらい、奥平信昌と改名したとのこと。また、長篠の戦い以前にも徳川家康の長女:亀姫をもらったりしていることから、中津城に併設されている中津神社は「逆玉」の神として奉られているとのこと。ということは、奥平家の子孫は家康の外孫ということにもなる訳で、信昌の孫(つまり家康のひ孫)の奥平忠昌は逝去直前の家康から白鳥鞘の鑓を贈られ、それが城内に展示されていた。

「おっくん」て何だと思ったら、奥平くんを縮めたものか(笑)
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城内は黒田官兵衛のプッシュも若干あったものの、奥平家一辺倒という感じだった。
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もっとも、奥平家は江戸時代中期に移封されたものであり、戦国時代を過ごしていないことから、特に戦もなく、中津とはかけ離れた、奥平家ターニングポイントの長篠の戦いを詳しく説明するという奇妙なものであったが。しかし、長篠の戦いはつい最近「新書太閤記 第4巻(吉川英治著)」で読んだばかりであり、私にとって超ホット!巡り合わせって、こんなものかな。

展望台からはこんな感じ。
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城の北側は周防灘に注ぐ中津川。あれ、岐阜県にもそんな地名あったっけ。
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