絶対に忘れられない葬儀 | 私が好きな私でいたい

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病気のこと(多発性嚢胞腎、緑内障)や日々の出来事、感じたことを日記がわりに綴っていきます。
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父が旅立った。
父への思いは後日
アメンバー記事で綴ろうと思うが
この葬儀が別な意味で
とても印象的なものとなった

喪主である弟が
通夜を終えたあと
夜間救急に駆け込んだ
通夜振るまいで親戚と談話していると
弟から電話がきた
「インフルエンザAだって…
医者がみんなのことを考えなさい、
7日は家から出るなって…なんでこんな時に」
今にも泣きそうな声

予想はついていた
熱っぽいというから
体温を計らせたら39℃もあったのだ

問題は翌日の告別式
施設にいた父のことは一切
長男だからと言って弟がしてくれていた
とても感謝をしきれないのだ
その弟がインフルエンザだから
父の見送りを出来ないなんて
そんなバカなことがあるだろうか

葬儀は幸い家族葬で
翌日の告別式に参列するのも
通夜振るまいの場にいる人だけ
「一旦電話を切るね。みんなに
聞いてみるから」
私はみんなに事情を説明し
全員のマスクを用意するので
弟に父の見送りをさせて欲しいと言った
すると、全員が快く承諾してくれ
私はマスクを購入するために
ドラッグストアに向かった

告別式は全員マスク姿
ちょっと異様な雰囲気
弟はマスクを2枚重ねにしていた

私もインフルエンザは怖いのでやはり
息苦しかったがマスクを2枚重ねにした

が、しかし
無事葬儀を終え自宅に帰ると
寒くて寒くてたまらない
熱を計ると37、5℃
インフルエンザを確信し
町医者に駆け込んだ
腎臓の定期検査のデータを持参して

病院での検温39℃
血液検査をしてくれて
町医者だがその場ですぐ結果が出た
クレアチニンがなぜか低いが
尿素窒素はずいぶん高い
腎臓が悪いのでやはり
解熱剤は出せない、
点滴も電解質の関係で
できないということだった

インフルエンザの薬と
咳止めの薬と
あとは水分不足だから
自力で水分を摂るようにと言われ
帰って来た

夜は悪寒と頭痛との闘いで
父とお別れしたという淋しさの余韻は
どこかにぶっ飛んでしまった

父の葬儀は
インフルエンザ騒動のおかげで
みんなの心に残るだろう