皆さん🤘こんにちは😎
本日は
'80年代
HEAVY METAL BAND
![アメリカ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/356.png)
MANOWAR です。
1980年、ジョーイ・ディマイオとロス・ザ・ボスが中心となり結成されたアメリカのヘヴィメタル・バンド。
魔ノ王 マノウォー
Vo. エリック・アダムス
G. ロス・ザ・ボス
B. ジョーイ・ディマイオ
Dr. カール・ケネディ→ドニー・ヘムズ
“Death To False”「偽メタルに死を❗」の合言葉を掲げ、日本でも鮮烈なデビューを飾る。
邦題は「地獄の🔔鎮魂歌」
見るからにその暑苦しさ、男臭さ、そのホモっ気(笑)に当時は“ドン引き”したのを覚えてる![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
![タラー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/099.png)
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
![タラー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/099.png)
又、この容姿からも伺える通り、俺も当初は
産メタル・バンドだと思ってた(笑)、
![ドイツ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/362.png)
当時の音楽雑誌ミュージックライフ(BURRN!創刊前)ですら、何ら情報の一つも入って来なくてね…🧐![?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/095.png)
![?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/095.png)
最も、特集記事でも組まれなきゃ〜こんな一見の🍠バンドなんて金になんないのでね(笑)。
⚠️以下、ウィキ調べ。
1983年、アメリカ国内ではメガフォース・レコード、ヨーロッパではミュージック・フォー・ネイションズとレコーディング契約をしたが、その際に「血判状」の如く、自らの血で契約書に署名をするという「男気」(笑)溢れるパフォーマンスを見せたのも有名な話(超〰っウゼェ)![チュー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/008.png)
![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
![チュー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/008.png)
![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
又、その様子は当時のヘヴィメタル専門誌、あのケラングでも特集され「表紙」を飾った![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
1983年、INTO GLORY RIDE 「地獄の復讐」を発表。
この2ndも、アルバムの作風からして一般受けを狙ったサウンド作りを真っ向から拒否、あえて言うなら反産業ロック(笑)、モチーフは北欧神話などのファンタジックな叙情詩的スタイルで英国進出を支柱にしたまさに漢のヘヴィメタルだ! 尚、このアルバムからドラムがスコット・コロンバスに代わった。
結果、このアルバム2枚でマノウォーの音楽スタイルは確立され、コアなメタルファン、そしてマノウォー・ファンを殖やして行く。
1984年初頭、3rdアルバム「HAIL TO ENGLAND」を発表。
当時、一部ではあるがすでに英国におけるマノウォーは人気、実力ともに知られており、マーシフル・フェイトの前座としてツアーに参加する。それにより、このツアーで熱狂的ファンに迎えられたマノウォーは、主役を喰うほどの大成功を収め、何とそのツアー中にマノウォーがヘッドライナーに改められた![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
![ハッ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/104.png)
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
![ハッ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/104.png)
ツアー終了後、自信を深めたバンドは、僅か10カ月後の同1984年、新たに契約した10レコードより
4thアルバム、サイン・オブ・ハマー(ハンマー)を発表した。
このアルバムをマノウォーの最高傑作!とするファンが多数おられると思うが、実際この俺も同感である。
正直、それまで3枚のアルバムではこれといって抜きに出るものを感じなかったのだが、このアルバムは素晴しい完成度を誇る、秀逸な作品である。
又、このサイン・オブ・ハマー、マノウォー・サインとも呼ばれる動作がファンの間で広まり、定着し始める。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170617/19/gurenbyakuren/1f/6e/j/o0960071713962803158.jpg?caw=800)
1987年、アトランティック・レコードに移籍。
5thアルバム「FIGHTING THE WORLD」を発表。
このアルバム、その後のレコード・ジャケットはキッスやレインボーでも知られるケン・ケリーなる人物が描いた![ニヤリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/003.png)
![ニヤリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/003.png)
「KINGS OF METAL」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170617/19/gurenbyakuren/3f/8e/j/o0600060213962803168.jpg?caw=800)
1988年、このキングス・オブ・メタルで世界的に、より知名度を上げ、アルバムを聴いて新たにファンになった方も多いと思われる。…とは言えこのマノウォー、やはり本国アメリカでは未だ成功したとは言い難いし、ヨーロッパにおいても'84年以降~ファンの世代も代わり、泣かず飛ばずの状況が続いていたのである![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
また、バンドは長きに渡る男メタル道を貫き、現在も活動中ではあるが、度重なるメンバーの脱退、死去などもあり、決して順風満帆な活動をしているとは言えない。
過去の来日公演は、1993年1月の川崎クラブチッタ他、
2014年10月30日、ZeppDiverCity.での公演が最後。
それでもMANOWARは不沈艦 “Man Of War” その名の通り“Death To False” を掲げ、真のヘヴィメタル道を突き進む!のである。
KEEP ON “HEAVY METAL”ROCKIN'!!!!!!!!!!!!!!!!
2011年 4月4日、スコット・コロンバス死去。
死因は発表されていない。
R.I.P.
MANOWAR -地獄の不沈艦-
正に、
これぞ男の中の男のメタルである!
~アディオス。