終わらない夏が終わっても、
僕の中では
まだ、終われなかった。
エンドレスエイトβ
僕の中では
まだ、終われなかった。
エンドレスエイトβ
何かおかしい。
そう気付き始めたのは、お盆を過ぎた夏の盛りの日のことだった。
そして、朝比奈みくるから電話を受け駅前に集合し、長門有希が八月十七日から三十一日を一万五千四百九十七回繰り返し、今回が一万五千四百九十八回目だと聞かされたのは何日前の事だったか・・・もう忘れてしまった。
僕は文芸部の部室でただ、時間の経過だけを見つめている。
つい数時間前までは彼の家にてSOS団総出で宿題を分担してやっていた。
分担と言っても、自分の課題を彼に写させるという作業の方が八割を占めていた気がする。
僕の字が汚いから書いてもらう事が出来ない、と理不尽な怒りをぶつけられた事も新しい記憶だ。
時計を見ると時刻は夜の十一時三十分をお知らせしている。
ここに来てもう三時間以上経っている。
「やっぱり、覚えていませんよね」
あの日彼が言った言葉も、今日が約束の日だという事も。
自分でも記憶があやふやなのだ。
ただ、身体の奥が熱い。
今の僕には無い思い出が断片的に甦る。
指を自分の唇を撫で、そのまま机に上半身を預けた。
カシャっと腕が何かに当たる。
そこには自分で持ってきた天体望遠鏡が入っている立方体の箱があった。
ボロボロの箱に入った古い天体望遠鏡。
あの場所から唯一持ち出した自分の物。
いつ使うのか分からなくて、でもあの時あの人が言ったから持ち出した物。
せっかく使うチャンスが来たのに。
箱から中身を取り出し、それを持って立ち上がる。
部室は電気を付けていない為、薄暗いが月と星の輝きで白い天体望遠鏡がよく映える。
「・・・・・・」
勢い良く振り上げた腕を更に勢い良く重力に則って下におろした。
ガシャンッと部室に響く音を立てて、持っていた天体望遠鏡が落ちた。
辛うじて原型を保っている部分に足を乗せ、体重を掛けるとその部分は粉々とまではいかないが、それでも壊れていく。
何も考えず、何も感じず、天体望遠鏡だったものを見つめた。
一万五千回以上の僕はこの日に同じ事をしたのだろうか?
しばらく考えて、僕はとある人物に電話をしてみた。
出ないなら出ないでもいい。
ただここに居る事が死ぬほど、辛い。
スリーコールで相手は電話に出た。
まるで、僕が電話を掛けてくる事を知っていたかのように。
「もしもし、長門さん、今少し大丈夫でしょうか?」
「・・・大丈夫」
「少々お尋ねしたい事があるのですが、この夏休みの中で天体観測をしたのは何回ありますか?」
「天体観測はプール同様過去一万五千四百九十八回必ず行っている。その内、涼宮ハルヒが八月十七日に提案したシークエンスは八千五百二十七回、突発的に提案したシークエンスが四千六百五十二回、あなたが提案したシークエンスが2二千三百十八回、そして彼が提案したシークエンスが一回」
突然の質問でも戸惑う事無く長門有希は坦々と答える。
なんというか、言い慣れた感じがする。
「彼が提案したシークエンスは一回目に該当する八月二十一日」
彼女が質問以上に答えてくれるのは珍しい。
「僕はあなたに何回同じ質問をしていますか?」
僕は情けないほど声が震えている。
「一万五千四百九十八回」
その回数はつまり、僕が一人でここに居た回数でもある。
「長門さん」
おそらくこれも一万五千四百九十八回目となる質問をする。
今日が終わったら明日は来ますか、と。
「・・・来る」
簡潔な答え。
「そう、ですか」
長門有希が言うのならばおそらく明日は来るのだろう。
長かった夏休みが終わって、明日が来る。
それは喜ばしいことなのに、僕は全く嬉しくない。
「お時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした」
もう、長門有希に同じ電話をすることはない。
電話を切ろうとした時、ボソリと何かを言った気がした。
「長門さん?」
「・・・彼はあなたの未来を変える」
一瞬、なんの事を言っているのか分からなかった。
未来を、変える?
ああ、あのことか、と理解する。
まさかTFEI端末の長門有希からそんな言葉を頂けるとは思わなかった。
「ありがとうございます」
心から感謝の気持ちを長門有希に伝え、今度こそ電話を切った。
「未来を変える、ですか・・・」
未来は変わらない方が、良い。
流れに委せてあるべき未来に向かうだけなのだ。
あと十数分で明日が来る。
最後の夏休みが終わる。
部室をそのままにして僕は屋上に向かった。
屋上に近づくほど足取りが重くなる。
その場所に向かっても誰も居ないと分かっているから。
それだったらこのまま帰ってしまいたい。
結果なんて見たくない。
それでも僕の足は屋上に続く階段を上っていく。
屋上の扉のドアノブに手を掛け、このドアを開けるかどうか僕は再び悩んだ。
このまま開けなければここに彼は居るかもしれないし、居ないかもしれない。
シュレーディンガーの猫のように。
いや、シュレーディンガーの猫を例にしてしまうとダメなのだ。
あの実験は成功していない。
僕はドアを開け、屋上の中央に足を進めた。
そして、ぐるりと見渡し空を見上げた。
ああ、星がとても綺麗だ。
『今日の夜、学校に来られるか?いや、何があっても来い!』
いっそ、あの言葉が僕の妄想で、ただの夢であればどれほど良かったのだろう。
僕は何度夏休みを繰り返してもこの場所に来ましたよ。
あとは、あなたが来るだけです。
腕時計を見ると残り一分で日付が変わる。
僕は仰向けになって静かに目を閉じた。
「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一・・・ゼロ」
目を開けると視界には見慣れた自室の天井ではなく、雲一つない夜空が映った。
明日が、来た。
しかし、待っていた人物はここには来なかった。
「あ、部室片付けないと」
明日が来たのならあの壊れた天体望遠鏡はあのまま壊れた状態で部室にあるはず。
面倒だなぁ。
少し、後悔した。
もう、あの日は無かった事になり、あの日彼から発せられた言葉に対して僕が答える機会は無くなった。
どれくらい時間が経ったのだろう。
とても長く感じているが、実際は数分かもしれない。
バンッ
左側から大きな音が聞こえた。
なんだろう、と思い顔を音のなった方に向けようとした瞬間。
「こ、いず・・・みっ!」
聞き慣れた声が僕の動きを止めた。
笑わないと。
何も感じてないように、笑わないと。
彼の姿を見ないように口端を持ち上げた。
今、視界に入れてしまうと、笑顔でいられない。
「古泉」
徐々に声が近づいてくる。
来ないで。
来ないで。
来ないで。
「今日は星が綺麗ですよ」
自分でも驚くほど僕の声に感情が無かった。
彼は何も言わない。
戸惑っているような、謝っているような、悲しんでいるような。
「その様子だと、覚えてないようですね」
「すまな、い」
僕が欲しかった言葉は返ってこない。
「でも、良いんです。それがあなたの答えであるように、これが僕の答えなのだと理解出来ましたから。大丈夫、僕は怒ってませんよ」
そう、僕が怒る理由は、ない。
あれは、僕の妄想で、夢で、存在しなかった約束。
それでも僕はここに居たかった、ということが僕の答えなのだ。
「古泉・・・!」
僕の左手にポツポツと生温い感触が伝わってきた。
「どうして泣いているんですか」
あなたが泣く理由なんてないのに。
「僕なら大丈夫ですから」
何が大丈夫なのか自分でも分からない。
むしろ大丈夫じゃないのかもしれない。
それでも、大丈夫。
大丈夫だから。
「それよりも、星を見ませんか?とても綺麗ですよ」
星に向かって手を伸ばした。
届きそうで、届かない距離。
「あの日、天体観測を皆さんでした時に、あなたは僕に教えてくれたんです」
今、こんなことを言ってもきっと彼は理解出来ないと分かっている。
分かっていても、知ってほしかった。
そうじゃないと、僕は・・・。
「『あれがデネブ、アルタイル、ベガ』」
あの日、彼が教えてくれた夏の大三角形。
「『俺は一度しか言わないからな』」
あの日、彼がぶっきらぼうに発した言葉。
「『答えは夏休み最後の夜に聞かしてくれ』」
あの日、彼が僕と交わした約束。
「こい・・・」
何回も、何百回も、何千回も、何万回も同じ日を繰り返しても、たった一度しか言わなかった。
「あなたは本当に一度しか言わないんですね。有言実行もあまり良いものではないようです」
僕はゆっくりと身体を起こした。
「僕の答えは今日・・・いえ、もう昨日ですね。あなたに伝えました」
「答え・・・」
「もう、今日は八月ではありません。だから僕はあなたが何を言ったのかも、僕が何を答えたのかも、教えません」
これはあなたへの罰。
約束を忘れて、約束を破ったあなたへの罰。
それでも・・・。
「あなたが思い出さなくても僕の答えはこの先、ずっと変わりません」
変わらない、変わるはずがないじゃないですか。
僕は立ち上がって彼の横を通り過ぎた。
「古泉っ!」
「もし、いつか思い出したら同じ台詞を言って下さいね」
そうしたら僕も同じ台詞をあなたに伝えます。
少しだけ空を見上げ、屋上の扉に向かって僕は歩き出す。
風が、生温い。
あと数歩で校舎内に入れるというところで身体が動かなくなった。
彼の重さが僕の身体に伝わる。
「古泉、古泉、古泉、古泉、古泉っ!」
「・・・離して下さい」
ようやく僕が彼に抱きしめられているのだと理解した。
「僕は部室に行って片付けなくては行けませんので、あなたは先に帰っていて下さい」
一刻も早く彼から離れたかった。
そうしないと、僕は・・・。
「俺も手伝う」
「いえ、大丈夫です」
身体が震える。
彼にも伝わってしまったかもしれない。
「僕一人で出来ますから」
「でも・・・」
一人で大丈夫。
一人で、大丈夫。
違う、一人じゃないと。
「僕一人じゃないと、泣けないですから」
「・・・・・・っ」
「だから、一人にさせて下さい」
お願いします。
笑顔のままだと辛いんですよ。
辛くて、辛くて、辛くて。
だから、一人にさせて下さい。
彼の重さが無くなる。
「また放課後、部室でお会いしましょう」
放課後までには僕はいつも通りの僕になれるから。
彼と一度も俺と目を合わす事無く、彼の名前を呼ぶ事無く、僕は階段を下りていく。
僕は、最低だ。
部室に入っても僕はすぐに散らばった残骸を片付けることせず、そのままその場に座り込んでしまった。
「・・・っ・・・・・・」
頼んでもいないのに次から次へと涙があふれてくる。
「なんでなんでなんでなんで」
なんで、あなたは忘れてしまったんですか?
僕は約束を守りました。
あなたが、天体望遠鏡を大切にしろと言ったから、僕はあれを捨てなかった。
あなたが、天体観測に誘ったから、僕は空を見た。
あなたと約束したから僕は待っていた。
涙でぼやけている目で窓の外を見る。
あんなに綺麗な夜空だったのに、今の僕には何も見えない。
織姫様、大切な人が年に一度しか会えない日に会いに来なかった時、僕はどうすればいいんですか?
泣きながら怒りをぶつけたら、楽になれますか?
土下座をさせてそれでも許さないと言ったら、気は晴れますか?
彼の目の前で泣く事も無く、
怒りをぶつける事も無く、
謝らせる機会を作らせず、
それでも許すと言って、
笑った僕は、
残酷ですか?
僕は思い出すまで待つと伝えて、彼を縛り付けた。
縛り付けたのに、これ以上僕に近づくなと警告した。
そして僕もこの矛盾に囚われている。
僕は、止まらない涙が乾くまで窓の外を見続けた。
夏がもう、終わる。



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