先週末、友人たちと ゴジラ×コング 新たなる帝国 を観てきました。
今回私は、事前に前作 ゴジラVSコング を観返してから今作の鑑賞に臨みました。
時間がない時間がないと普段から言っているのに。
↓ゴジラVSコング
まぁ、その程度には気合を入れての(?)鑑賞というわけです。
以下、ネタバレ有の感想。
このシリーズ(モンスター・ヴァースシリーズのこと)どれもあまり格調高さみたいなものは重視されず、ひたすら怪獣バトルによる娯楽に針が振り切れているのが特徴です。
あまり深いことは考えずノリで楽しむのが正しい鑑賞スタイルです。
今回もそこは予想を裏切らず、肩の力を抜いて楽しむことができました。
ただ、いくつか思うところはありました。
・古参のキングコングのファンは、コングのキャラについて これでいいのだろうか?
これは不満とかではなく、純粋な疑問。
過去のキングコングって、
・現代人間社会には受け入れられない悲劇性
・美女とのからみ
・高いビルに上る
が大きな柱だったと思うのですよ。
でもモンスター・ヴァースシリーズでのコング登場作品では、いずれもこれらの要素は柱とはならず「ファンサービスとしてそれらの要素を少し匂わせる」に留めているでしょう?
日本の古参のゴジラファンって、ゴジラから反核のメッセージ性とかが失われたり、対象年齢を下げた作品が制作されたりすると、物凄く怒るじゃないですか。
アメリカの古参のキングコングファンには、そういった流れは起こらないのかな? と。
・今回の作品、ゴジラいらなくないですか?
もちろん、柱が「ド派手な怪獣バトル」の作品なのですから、そこにゴジラが登場するという意味での存在意義はありますし、理解できていますよ。
今回の作品、日本の「ゴジラ対メカゴジラ」に作品内容が酷似していますよね。
ゴジラという存在を抜いた状態でも。
↓ゴジラ対メカゴジラ
ゴジラ対メカゴジラのストーリーをざっくりなぞっていくと同時に、今回の作品から「ゴジラの存在」をあえて消した上で対応させてみましょう。
(カッコ内は今回の作品における対応する要素)
・メインの敵役はゴジラ(キングコング)の相似形の存在
・ゴジラ(キングコング)は、初戦ではメカゴジラ(スカーキング)に苦戦し、傷つく
・人間は、沖縄で発見された壁画の予言~シーサー像の謎(地底空間から発せられる波長~イーヴィス族文明の謎)を追う
・ゴジラは新たな力:全身を磁石化する能力を手に入れ(コングは新たな力:メカニカルアームを手に入れ)復活
・メカゴジラ(スカーキング)の進撃が開始されんとしている時……
・安豆味王朝の末裔である女性:ナミ(地上のイーヴィス族の末裔である少女:ジア)の祈りを受け、キングシーサー(モスラ)が復活
・ゴジラ(コング)と共闘し、悪を倒す
ゴジラ対メカゴジラは娯楽作としては高い評価を受けており、ゴジラを抜いた状態でそれと酷似した作品内容であるという事は……
マジでゴジラがいなくてもこの映画は十分に娯楽作として成立してしまうことが、上記の「ゴジラ対メカゴジラ」との対応で分かってもらえると思います。
今回はゴジラは脇役でコングが主役ですね、なんてレベルじゃない。
主軸にゴジラの存在が、無い。
むしろ、人間側のやっているメインストーリーがイーヴィス族文明の謎に迫りモスラを復活させることなのだから、私個人的にはタイトルが「キングコング×モスラ 新たなる帝国 withゴジラ」くらいの方が内容に沿っていてしっくりくる気もします。
……実際、ゴジラは登場させないで今作を成立させてはまずかったのでしょうか?
今回ゴジラを登場させてしまったことで、今後のこのシリーズ、コングとゴジラ両方が登場していないと、物足りなさを観客に感じさせることになってしまったのでは?
まぁ、これも「古参のファンはコングのキャラにこれでいいのだろうか?」同様、別に不満ではなく、頭に思い浮かんだことを書いただけです。
今回の映画単発で考えるのならば、むしろ
「『~対メカゴジラ』と相似した要素だけで十分娯楽作として成立しているのに、そこにさらに『親子のドラマ』『自分の居場所を探し求める者のドラマ』『ゴジラ』という要素をぶち込んできた、てんこ盛りな内容の作品であった」
と、好意的に評価できるでしょう。
・スカ―キング、メイン悪役としてはキャラが弱くないですか?
今回の作品でハッキリと不満があるとしたら、これにつきます。
ゴジラと共闘しなくとも、キングコングが負ける気がしない。
もっと凄い奴を出して欲しかったかなぁ。
そしてこれって、今作の主柱である「怪獣バトル」の根幹にかかわる部分なので、ここが弱かったというのは大きな不満点でありました。
まぁ、ぶつくさ書きましたが、総じて楽しめたことは間違いないです。
おまけ
昔作ったやつ。
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