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チェジャンが作りたくなり、試作したらそこそこ上手く出来て蒸し豚を作った
蒸し豚はバラ肉よりも肩ロースが良いが、良い肩ロースが無かったから仕方がない

寒いので少し唐辛子を食べてみたくなって、コチュジャンを使う物で少しマイルドになるものと考えたらチェジャンになった

本当は生センマイを食べたかったがこの島では新鮮なホルモンは入手困難だ
沖縄が気に入って移住後に焼肉屋、かすうどん屋、お好み焼き屋などのホルモンを扱う仕事をしたくても良いホルモンは手に入らないので、皆撤退して行く

今もその状態に大差はなく、肥育されている牛の絶対数の少なさから、高値のものは皆東京へ、有っても親類のお店にしか新鮮なホルモンは回らない

元々肉食文化が無く、牛の飼育の煩雑さと高額さから沖縄では牛は食べる物ではなく育てる物が当たり前とされていて、更にはアメリカ好みの肉しか出回らなかった事もあって、沖縄では和牛肉を食べる習慣がまだ育っていない

一部出回ってる和牛も去勢された牛、乳牛の成れの果てという商品だから、美味い訳がない
但馬牛を食べて育った者にはとても食べられた物ではない

なので、気持ちを切り替えて美味しい沖縄の豚肉三昧な日々となる

泡瀬に日本人が入った、沖縄に住み着いたのが薩摩侵攻に併せてとの事と記載がある様だが、実在にはまだ150年程の事だとする話を信用している
何故なら薩摩侵攻当時、沖縄には肉食文化が存在せず、日本からの移住の意味が無いからである

日本からの移民はあくまでも食畜の解体業者であったからだし、それは明治の頃に日本の東アジアへの侵攻の補給地としての沖縄の役割が生じた為であるからだ

山羊、羊、牛、鶏と持ち込まれだが、沖縄の土壌、植生に合う動物が山羊しか居なかった為に山羊は沖縄のソウルフードの地位を確立した事からも分かる

なので、沖縄では仔ウシの生育はするが、成牛は内地で行う形となった
沖縄のと言っているが、その多くは与論島から運ばれていた鹿児島牛となる

今は各島で繁殖を行える様になっているが、飼料の問題は依然あり、狙うならば西表牛をお勧めしている
味も西表牛、黒島牛、伊江牛、石垣牛と私は感じている
ま、最ももう沖縄では口に出来ない高価な代物なので、東京の高級ステーキハウスで食べ比べる事になるだろう

エイサーのチョンダラー(京太郎)も泡瀬発祥説を支持している
今現在も多くの移民が暮らすのが泡瀬地区であり、街の成り立ちからもそれは理解される

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これはチョンダラーではないんですが、とても似ていますね

唐辛子を食べるとどうしても沖縄の肉食文化とその発達、チョンダラーと泡瀬、平敷屋のエイサーとの違いを思い出してしまいます