ひとり鍋したことある?ブログネタ:ひとり鍋したことある? 参加中
鍋は大人数に限るのは、沢山の具材から出汁が出ると言う迷信に基づいている
と息巻いてみるが寂しさは決して消えない
家族や仲間と囲む鍋の方が美味しいと感じる気持ちを大切にする方が良いのかと思うが、色々と心の形が変わってしまっているから孤食仕方がないんだと思うしかない

独り暮らしが長引くと1人でしか生きられなくなるんじゃないかな?
それは単なる慣れだけでなく、他者への寛容が失われてしまうのかもしれないと感じる時がある

特に身勝手な人や無作法者と鍋をするとそれは強く感じる
鍋奉行なんて立派なものではなく、もう独裁者レベルで強権発動してしまう

焼肉もそうだし、作法を弁えない人とは一緒に食卓は囲めない自意識過剰な精神は戻らないのかとも感じる
第三者の中に自分を見つけられず、また相手の心の中にいる自分を信じられなくなる気弱さすらあって、そんな悲しく恥ずかしい思いをするなら独りを選んでしまう様になるのだろうか?
孤食の問題はとても大きく人格の形成に影響する気がしている

会話には常に茶菓子や食事があって然るべくして日本の文化はあったし、脳腸相関の話はよくするが、食事の重要性は対人関係の構築という点においても極めて重要性を持つのかと思う

法的な面でも実は個人の言動とは社会性との関わりがあって、全く自由な意思決定が行われてばかりはおらず、多分に何かしらの力が加わって成されると言えるから、孤食を敢えて選ぶものではないけれど、そうさせる社会の仕組みや流れはあって、止む無く悪循環となる孤食は生まれていると言い訳もしたくなる程に一人鍋は心が暴れて疲れてしまうものだ

一人鍋の時は大きめの鍋で出汁を取り、調理は一人前になる様仕上げる
贅沢だけれど、白菜は大量に使い旨味を求めてしまう
くたくたになってしまった白菜は捨てる覚悟で一人鍋は作っている
実際の一人鍋の怖さは精神的な困窮よりも(笑)食べ過ぎてしまうことにあり、材料を使いきりたいとか、美味すぎて止まらなくなる事の方にある

元より独り暮らしが長いから、今より20年前に購入した栗原さんのタレとその後に発売された一人鍋の本は十二分に検証されており、美味いものなんて容易く作れるものだから…困った事になる
確かに一人鍋は野菜が沢山食べられるされど、総じて肉や魚、貝類も旨味を増して食べ過ぎてしまう怖さがある

何よりも独り暮らしの怖さは病気にあって、細かに摂生を意識するものだから、食べ過ぎも中々に侮れない事は何度もやらかして熟知しているつもりだけれど、一人鍋だけは避けがたい危険に見舞われてしまう

周囲の雑音などどこ吹く風の人だから、何を言われても意に介さないが、結局は自己管理の甘さに泣くのだけは後悔するので、一人鍋はよく計算してから作る様にはしている

人の評価を受けず、ひたすら自分好みの味に仕上げる自炊を8年以上やってるんだからな
そりゃ美味く感じるに決まってるわ
(*´﹃`*)
ヤンバル地鶏のすき焼き
アグー豚と白菜のゴマ豆乳鍋
タコを真ん中に魚介のトマト鍋
コク胡麻味噌の厚揚げ鍋とか止まらないよ?