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沖縄問題を解決すればノーベル賞だと聞いて、それならと取り組んでみた
確かにこの問題は難しいが、不可能ではないと思っている
沖縄独立論の様な居酒屋トークと同様に机上の空論ではあるが可能性ならある

結論から言うと、沖縄は独立するべきであるが、独立は極めて困難である

独立するべきであるとする理由は三つある
*民族迫害と言っても過言ではない現状にあること
*守る価値のあるソフトパワーがまだ残っていること
*日本、沖縄が同じだとする考えが互いの存在に良くないこと


独立が困難であるとする理由は大きく二つある
一つは沖縄自身の問題とそれを取り巻く世界の問題である

沖縄自身の問題としては
*経済的な自立が難しいこと
*安全保障(国防)の問題が大きいこと
*独立後の予見性が持ててないこと(独立という形自体が沖縄に合わない)

世界の問題としては
世界の価値観は一つになろうとしている

それぞれについてはブログの沖縄学に書いている

スコットランド、スペインのバスク地方などの独立運動に刺激されて沖縄の独立論も再燃しているが、あくまで一部の意見としてあるだけだ

沖縄の目指すべき独立の形とは何なのかを議論されるべきだが、この島にはそぐわない
軍曹が求める沖縄の姿は、アメリカ的な文明社会を排した自然豊かな島に戻り、沖縄ルールを守る生活を送ることにある

その意味はスピリチュアルヒーリングを取り戻すことにある
沖縄ルールを守る姿こそ沖縄らしさであり、神の存在を意識した人の一つの生き方として価値のあるものと考えている

沖縄の存在価値を理解する知性を持つ者が少ないのでこの言葉の真意は伝わらないでいるが、近代的な文明社会との対立する関係性自体にこそ沖縄の存在理由はあるとするものだ

世界は一つになろうとする流れの中にある
単純に独立論を語るなら、武力、エネルギー、食糧問題を語ると良い
しかしそれ自体が既に間違えた視点であり、沖縄の持つソフトパワーが無視されていて議論に値しない状況を押し付けられている

沖縄の心を語る者は稀れであり、また言葉に出来ている語り部を知らない
沖縄ほど異質な存在は無いから、沖縄の心を語るには沖縄の者でなければ困難であるが、心を語る能力を沖縄の人ほど身に付けていない矛盾があり、文字に現れて皆が理解する機会は得られない

沖縄のアイデンティティは、神への純粋な祈りにある
だから世界がどの様に変化しようとも沖縄のアイデンティティは保たれて然るべきであるが、環境の変化に従順に対応する姿こそ沖縄人の姿であるが故にこの祈りが失われる矛盾がある

全ては自然な環境の変化として捉える為に自らの生き方を変えるとしても沖縄は失われていないと認識する無意識により、積極的な環境改善に取り組まない矛盾があって、沖縄らしさを回復するには自発性が必要であるのにそこに至らない問題点がある

つまり、沖縄が沖縄ルールを取り戻すには環境が変わらなければならないのに、環境を変える努力が生まれてこないこととなる

頭を使って物事を考える習性のある者には、そんな馬鹿なと思われるだろうが、それが沖縄のスタイルであってそれは変わらない
変わらないという沖縄ルールがあるにも関わらず、環境の変化に瞬時に生活を変える思考の変化を起こす矛盾は決して解消されることはない

自発性の認識が根本的に異なるので、この心の在り方は理解されにくい
アメリカの示した経済社会への自発性の欠如は人としての向上心、責任感の差としても認められる
我々…いや、沖縄人以外と沖縄人との差は埋まることのない差として存在している

ソフトパワーを求めて生きる形になっていた暮らしが、いきなりハードパワーを求める形にはならない
緩やかな変化は勿論あって、過渡期と今を捉えることはあり得るのだが、それは永遠に途切れることなく続くものとしてある

人を変える力は極論すると、教育か暴力しかない
沖縄は学びの本質を持ち、賢さを得る生きる姿勢を失わないが社会貢献、労働力としての勉学は否定される
暴力への自然な反発があって武力への抵抗を示して命の尊厳を守る

安易な義務教育、単純な暴力への屈服は無いから、沖縄は変わらない
まるで神の前に人は平等であり、自由に生きる権利が失われないという気高さを持つ人という名の動物の様だ

沖縄に限らず、義務教育がもたらす子どもへの自然な劣等感、大して役に立たない優越感は学びの本質を失わせている

競争社会である今の世界にあっては、科挙の仕組みは当たり前であって知識を得ることが善であり、如何にお金を稼げる仕事につくのかを競っている
その善悪、利害を語る言葉は別にあるが、沖縄的ではないことは理解出来る

ハードパワーの世界には当たり前でもソフトパワーを求めて生きる人には無価値だ

声高に語る人の中にどれ程の沖縄ルールを理解して、沖縄の存在価値を守る為に語る人がいるのかと疑問だ

今の競争社会に完全に適応する沖縄人を沖縄人とは呼べないんじゃないのか?
そんな疑念が払拭されなければ、軍曹は多くのインテリが語る沖縄独立論には反対する

そこに沖縄の心が無いなら、体だけ生き残っても沖縄は何処にも存在しない
沖縄の死を意味すると考える…民族を守るとは、血を守り、断片的、限定的な文化を守ることではなく、民族固有の心の在り方、心通う生活様式の全てを守ることではないだろうか?

言葉、衣食住の全てがありのままの姿で存在しなければそれは、民族の死を意味すると感じている

形骸化しワンパターンの断定的な教育自体が沖縄にはそぐわない
言葉をなくしても沖縄のルールは失われないから、沖縄には再生の可能性があると言っている

日本人は違う
健康に関する言葉が失われて、日本人は完全に心を失い、健康を損ねている
テストの点数だけで僅かな自尊心を保っている形には申し訳ないが、沖縄の知性は緩やかな発育を示して老成と共にあなたを遥かに凌ぐ賢さを身に付けていく沖縄人には及ばなくなる

生活様式を守る意識の高さがこの差を生み出している
我々が欧米諸国の武力侵攻に抗って守っていたのは国土であり、生活様式であったんだと今更気が付いた

民族としてなら守るべきは命ではなく、国土と生活様式である
最も優先して改善することは、豊かな自然を取り戻すことだと結論する

衣食住の改善はそこから始まる
琉球も然り、日本も然り








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